人生80年の中身 “死なしきれない わたし” | 微塵のごとく

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大震災からブログをお休みしていました。あれから、8ヶ月。ブログを再開しようかなと思いますが、さぁて?!

遊雲さん父さん―小児がんを生きたわが子との対話/有国 智光
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以前、上の本で紹介した有国智光さんのお話から。



 生きているとは、一体どういうことなのでしょうか。


 学校などで、子どもたち相手に「いのち」について話して欲しいと


依頼を受けることがあります。そんなとき、一時期は、


「いま、生きている人!」と問いかけてみたものでした。


素直な子はみんな手を挙げてくれます。でも、続けて


「じゃあ、いま、ちゃんと生きてる人!」ときくと、


ためらう子がでてくる。ちゃんと生きるって、


どういうことなんだろう?



ちゃんと生きる


て、どういうことなんでしょう。


有国さんは、続けます。


“ちゃんと生きるということは、ちゃんと死ねる”ということ。


私も、周りのものも、みんなおしなべて、


「死ぬこと」は怖いようです。


実は、怖いのは死ぬことではなく、「死にきれない」こと

ではないのか。


これが、有国さんの結論のようです。


 大切な「あなた」が死んでしまったとき、私たちはそれを


認めようとしません。認めたくない。


あなたが生きていたことを忘れないことで、あなたを生かし


続けていたい。それが情です。

 

 でもね。


その「情」って、結局のところは、途方にくれまいとしている、


つまり死ぬに死にきれない、自分自身の姿でしかないのです。



死んで「しまった」人を、死にきらせてあげられないから、


私も同類の「死にきれない」自分になってしまうのでしょうね。


「生きている」というのは、単に、「死にきれない」だけの


ことかもしれません。


だから、「ちゃんと生きる」ということは、安心して、


死んでいけることなのでしょう。


でも、その前に、人生80年の中身。


「老い」と「病い」が待ち受けていますよ!


ここまできたら、もう、開き直るしかねえか(笑



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