- 宗教クライシス (21世紀問題群ブックス (11))/上田 紀行
- ¥1,785
- Amazon.co.jp
「宗教」的世界は、「日常性」や「合理性」とは異なったもの、
その対極にあるものとして認識されることが多く、日常性では
捉えきれない面を持つが故に、「宗教」は変なもの、異常な
ものというレッテルを貼られることも少なくない。
もしかしたら「宗教」はあまりにも当たり前のことを言っている
のかもしれず、それが現代において力を持つのは、現代と
いう時代が異常である故かもしれない。つまり、「宗教」は
かなり凡庸なことを言っているのだが、この時代が「宗教」を
ことさら尊いものに祭り上げ、必要以上に「聖なる」ものに
仕立て上げ、必要以上のパワーをそれに与えてしまって
いるのかもしれないのである。
この本の初版は、1995年である。
今から15年も前のことだが、時間は経ても、宗教の本質は
変わらない。むしろ、時代の変遷は、人間の側の、そして
宗教を語る宗教者の、宗教を邪教に変貌させてしまうという
まさしく“宗教クライシス”を生む可能性の方が大きい。
宗教、とりわけ仏教は、日常性をそのまま生きる、認識する
という教えであると思う。
その一つは、無常性。
生まれたものは、やがて死んでいく。順番はない。
形有るものは、いつかは壊れる。
出会ったものは、やがて別れていく。
この無常性を、この「身」で受け容れていく。
私の日常性は、すべてこれである。
二つには、関係性。
仏教では、「因縁生起」略して「縁起」という。
“縁起がいい、悪い”という縁起のことではない。
この世界には、独立した存在は一つもない。
みんな、その関係性の中で、刻々と姿を変えていく。
たとえば、「親子」。
両親の間に生まれた自分は、親の前では「子」で
あっても、今は人の「親」である。
関係性の中で、名前を変えていく。
今生きているのは、「生きる」ための縁(条件)が
整っているから。その縁が尽きたら、もう、
生きることから、嫌でも離れなければならない。
死の縁無量。
生死(しょうじ)は一つ。
では、
21世紀には、どのような宗教が求められているのか。
超常現象、奇蹟、聖なるもの、奇異なもの、
地球滅亡を救う?・・・・・・・・・・
決して、そんなものではないはずだ。
目の前に起こる日常性に、学ぶこと。
私は、それで十分だと思っている。
少しでも多くの方に読んでいただきたいので、
ブログランキングに参加しています