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Kou

音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。
ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。

林博通著「幻の宮大津京を掘る」を読んだ。
 
壬申の乱の後、大津の宮はわずか5年で廃都になり、その所在が不明となる。その後は中世のいくつかの古文書に所在地記事が散見される程度で、完全に忘れられた都となっていた。ようやく江戸時代になると、儒学者寒川辰清の論考があり、明治に入ると議論が本格化、推定地域の発掘調査も行われてきた。そして長年の論争に決着をつけたのが、当時、滋賀県教育委員会技師だった林博通氏である。
 
著書「幻の宮大津京を掘る」は、遺構発見のきっかけとなった経緯を回想するところから始まる。冒頭部分ではあるが、本書のクライマックスシーンといっていい。
 
林氏は当時、別の遺跡発掘の仕事に就いていたのだが、その現場へ通うため、自身がのちに発見することになる、大津の宮の遺構地の前を毎日通っていた。ある日、その場所が住宅建設のために掘り返されようとしていることに気付く。かねてより大津の宮の候補地ではあったものの、もとより確証はない。しかしこのチャンスを逃すことはできない。矢も楯もたまらず、林氏はあわてて土地の所有者に交渉、発掘の許可を求めた。すると幸いにも承諾を得ることができ、そして見事に大津の宮の柱穴を発見するに至ったのだ。
 
林氏はこの経緯を淡々と綴っているが、発掘の承諾を得るまで、地権者への説得に必死であったろうし、発掘の結果が出るまでは、あるいは職を賭する覚悟の日々であったかもしれない。書かれていない苦労も多々あったに違いない。
 
この発掘現場は、明治に建立された「志賀宮址碑」の隣接地である。碑は日清戦争勝利に沸き、皇国思想が高まったため建てられたという。しかしその根拠は、小字名が御所ノ内であったというにすぎない。大津の宮の伝承が残っていたためともされるが、平安時代、源頼義がこの地に屋敷を構えていたためとの説もある。結果的に碑は、大津の宮そのものの地に建てられていたわけで、当の林氏が一番驚いたことだろう。
 
ブログ筆者は古代史好きで、このような歴史的な遺跡や遺物発見の話にとても興味がある。たとえばロゼッタストーン解読の経緯や、あるいはシュリーマンのトロイ文明発掘などにも惹かれる。それらに較べていささかスケールは小さいものの、この大津の宮発掘に至る経緯もとてもおもしろかった。