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Kou

音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。
ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。

エッセイストの麻生圭子。

この名を知っている人は、そう多くないかもしれない。

でも’京都の町家暮らし’と言えば、思い出す人は少なからずいるはず。

 

そう、町家の日々の暮らしを、女性らしい、あるいは独特の視点から描いてきた人だ。

若いころは作詞家だった。

吉川晃司や中森明菜、小泉今日子など、多くの歌手に詞を提供していた。

オリコン一位を獲得したこともある。

でも、いまの世間における認知は、やはり京都を描くエッセイストとしてだろう。

 

その彼女がなんと、京都を去っていた。

それも、三年も前のことらしい。

遅ればせながら昨年末に、ネットで知った。

京都は麻生圭子にとって、理想郷だったはずなのに。

あんなにたくさん、京都本を出していたのに。

自分は麻生さんに特別の関心があったわけではなかった。

それでも驚いた。

彼女の本を愛読していた人たちは、きっとショックを受けたはず。

 

そんな麻生さん、

いまどこにいるかというと、京都の隣、琵琶湖の畔にいる。

 

このことを知ったのは、彼女が発するツイッター。

麻生さんは、湖畔での日々の暮らしをつぶやいている。

住んでいる場所も、おぼろげながら明かしている。

そこは、琵琶湖の西岸にあたる地。

高峰比良山系を仰ぎ見、その狭い裾野からすぐに湖面が広がる、風光明媚な地。

風薫る五月など、岸辺に吹く風は最高に心地よい。

湖水浴やウィンタースポーツなど四季を通じて、京都大阪あたりから若い人や家族連れが遊びに来る。

 

しかし、この地は端的にいえば、田舎。

麻生さんがいた京都とは、まるで様相が異なる。

エッセイストが住むような文化的要素は、なんにもない。

夏季や週末に利用される別荘、会社の保養所などが点在しているが、ただそれだけのこと。

麻生さんはなぜ、京都から離れたのか。

その理由が知りたくなった。

 

そこでさっそく、ネットを検索。

それにはやっぱり、ウィキペディア。

しかし麻生さんのページには、作詞作品や著書リストはあったものの、なんと来歴の項目がなかった。

それなりの有名人だと思っていたのに。

京都を去ったこともむろん載っていなかった。

 

となると、ご本人のツイッター。

じつはプロフィールには、住まいの'変遷'が記されている。

「町家暮らしを経て、ロンドン暮らし少しを経験、中途半端に帰国。現在、水辺の小屋をセルフリノベ中」、と。

つまり、京都から直接滋賀に引っ越したわけではなかった。

理由はわからないが、まずは京都からロンドンへ渡り、さらにはまた帰国ということになっている。

ここにも京都を離れた理由が記されていない。

 

そこで、ツイッター本文を遡って読むことにした。

すると、あっさり見つかった。

ツイッターをはじめたばかりの、2015年11月に、

「京都にはもう19年いたので、もう充分。というか、長過ぎた。慣れてしまった。慣れたら、終わり。町家暮らしはもうしないと、家を引き払うときにはもう決めていました」

 

ほかのツイートでも、京都について

「いい意味でも悪い意味でも。窮屈。ぽろっ。本音」

 

京都を離れた理由が、こんなふうに書かれていた。

短文ゆえはっきりしないが、ネガティブな印象としかとれない。

京都があんなに好きだったはずなのに。

 

麻生さんは、作詞家からエッセイストに転向した。

そして何冊かのエッセイを出したのち、いわゆる京都ものを書きだしたのは、結婚を機に東京から京都へ来てから。

最初の『東京育ちの京都案内』はよく売れ、増刷を重ねたようだ。

意外なことだが、京都本は売れないというのが出版界の常識と聞く。

しかし麻生さんはなんと十年ものあいだ、毎年のように京都本を出し続けた。

これは出版界にとって画期的なことだったのかもしれない。

 

しかし、その後ばったりと新著は途絶えてしまう。

新しい本を生み出すのは、相当の労力を要するのは素人でもわかる。

麻生さん、徐々にパワーダウンしていったのかもしれない。

折りしもの出版不況も大きかったのだろう。

昨今、売れるのは新書しかないという。

 

そのせいだろうか、5年ものブランクののち、やっと上梓した『京都早起き案内』は新書だった。

それまでの麻生さんの本は、京都らしいとても凝ったつくりが多かったのに、味気ない画一的な表紙の新書になってしまった。

本を出すにも出せなかった?5年の間、麻生さんは何を思い考えていたのか。

察するに、新しい本を出せない状況に加え、先述のツイート文に凝縮されたような思いが、徐々に高まっていった日々だったのでは。

 

しかし一方で、『京都早起き案内』は満を持しての新刊だったはずだ。

その「まえがき」には、「また続きの案内を務められる機会が得られることを祈っています」と、続編の出版を望んでもいるのだ。

この時点では京都を離れる意思はなかったことがわかる。

しかし、翌年には京都を去り、ロンドンへ居を移してしまう。

これには、新著の売れ行きが関係したのではないのか。

むろん転居にはもっと大きな理由はあったはずだが、新著の売れ行きが京都を去る最後の引き金を引かせたのかもしれない。

 

麻生さんは心底京都や町家が好きだった、と思う。

そして自分の理想とするライフスタイルを、エッセイストとしての筆力で表現、その結実である京都本を十余年にわたり生み出し続けた。

作詞家としてオリコン一位を獲得したのと同様、文筆家としても、もうひとつの頂点を極めたといえる。

麻生さんは19年もの間、よくやり通したと思う。

しかし京都への愛着が年月の流れとともに薄れてゆき、一方で京都がもつ負の一面が徐々に心に大きく広がり、そしてついに実利も伴わなくなってしまった。

京都を去るのも当然だったと思われる。

 

そしていま、琵琶湖の畔に住む麻生さん。

ツイッターを読む限り、日々静かな暮らしを送っているようだ。

でもまだ越してきて日が浅い。

「越冬」したのも今冬が初めてのようだ。

湖畔の家の評価はこれからだろう。

 

それでもここに居を構えたのは、京都に近いことが決め手になったと思われる。

ご主人の仕事の事情も大きいはず。

麻生さんにとっても、二十年にわたってつちかってきた京都の友人知人も大きな財産だろう。

そしてなにより、複雑になってしまった京都への思いを、また再び二十年前のピュアな思いに回帰できる、適度な距離のある最適な地だと思う。

 

京都にいた頃、鴨川の流れが好きとブログに綴っていた、麻生さん。

いまは積年の疲れを、湖の水面に癒されているようだ。

またいつかどこかへ去ってしまうような気もするけれど、それまでこのスローライフ、というのだろうか、のんびり田舎の暮らしを楽しんでもらいたい。

 

 

と、ここまで麻生さんについて勝手にあれこれ記してきた。

でも自分は、麻生さんのことは本やネットでしか知らない。

なにも事情を知らない者に、こんなにあれこれ書かれ、ご本人はいい気持ちはしないはず。

真実ならまだしも、推測に憶測を重ね合わせただけの、あてずっぽうにすぎないストーリー。

しかも、こんな駄文で。

麻生さんには謝るしかない。

もうしわけありません。

 

でも、ひとつだけ言い訳をさせてもらうと、

じつは私、四十年近く京都の会社に勤めたのち、最近退職、いまは滋賀に住んでいる。

だから麻生さんが近頃京都を去り、そして滋賀へという住まいの流れに、親近感を覚えてしまった。

京都という街への複雑な思い、そして解放感を共有しているとも思っている。

それで勝手な話ながら、麻生さんが京都を去った理由を知りたくなってしまった。

これがこのブログを書いた理由です。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。