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Kou

音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。
ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。

おけいこと、四角佳子が音楽の世界に戻ってから、かれこれ17年が過ぎた。

ふた昔前のこのカムバックを自分が知ったのは、今年のことである。

あのおけいがまた歌っているのだと、今更ながらその驚きを前回のブログに綴った。

 

となると、次は彼女を観たくなった。

しかし、彼女はここ関西圏でのライブはあまりやってないようだ。

 

おけいは大阪岸和田の出身である。

地元なのだから、まぁいつかそのうちあるだろうと思っていたら、すぐに機会はやってきた。

10月に、ライブを大阪市でやるという。

拓郎ファンである友人に声をかけ、一緒に行くことになった。

 

そこに飛び込んできたのが、NHKのFM番組の告知である。

フォーク三昧と称した特集番組に、おけいが出演するという。

放送は9月なので、おけいのライブの前月ということになる。

失礼ながら、彼女はそんなにマスコミに出ていない。

初めておけいを観る、その直前に彼女の声をラジオで聴けるのは幸運といえた。

 

放送は8時間にも及ぶ長丁場で、幾組かのフォーク歌手が入れ替わり出演する構成だった。

出演者のひとりがおけいで、番組のメインパーソナリティは小室等であった。

番組の内容も、よくある懐メロフォーク調だったのだが、自分としては、興味深かった点がふたつあった。

 

ひとつは、おけいが志麻ゆきという、アイドル時代の歌がオンエアされたこと。

自分はこれまで、六文銭以降のおけいの歌しか知らなかった。

初めて耳にしたその歌声は、アイドルという域をはるかに超えた、素晴らしいものだった。

引き合いに出すのも何だけれど、拓郎の次の嫁さんとは月とスッポン。

別格だった。

 

もうひとつの興味深かった点。

これはすこし微妙な話ではあるけれど。

 

番組では、おけいのデビューから、そして再デビューに至る幾つかのエピソードが語られていたのだが、拓郎との過去が話題にのぼることは最後までなかった。

というか、意識的に避けられていた。

しかしこれは、おけいの過去を知る者にとって、とても不自然なことだった。

 

ただ、その核心に触れんとする、「緊迫のシーン」があった。

小坂一也の歌、『春になれば』が流れたあとのことである。

進行役の女性アナウンサーが、

「春の歌といえば、吉田拓郎さんの 『春の風が吹いていたら』 がある・・・、四角さん」

と、いくぶん低めのトーンで彼女に話しを振ったのだ。

 

『春になれば』 は拓郎がつくった歌である。

だから、話の繋がりとして自然ではある。

しかしこの女性アナの声調は、あきらかに含みをもっていた。

容赦ない問いかけにおけいは、笑いでごまかしながらも戸惑いが隠せなかった。

ラジオゆえ表情はむろんわからないが、その返答のトーンには、あきらかに心の乱れがあった。

 

しかしここでも結局、拓郎との過去にまで会話が及ぶことはなかった。

事前の打ち合わせで、その話はしないとの合意があったはずだ。

だがそれでは、事情通のリスナーを満足させられない。

だから女性アナはあえて思わせぶりな声色で、軽いジャブを放ったのだ。

 

真偽はわからないがネットによると、この女性アナ、NHK内でもかなりのつわものらしい。

理不尽ともいえる、思わぬ不意打ちを喰らったおけいが気の毒だった。

そもそも、おけいの出番のときに拓郎の歌を流すなど、番組構成的にも彼女は居心地が悪かったろう。

 

前回ブログで記したテレビ番組でも、司会の谷村新司はおけいに過去を突いてきた。

やはり彼女を世間が見る目は、いまだ拓郎というのが欠かせない存在なのだ。

かくいう自分も、そうなのだけれど・・・

 

 

さて、今日の本題はおけいのライブ。

10月のその夜、冷たい雨がそぼ降る中、友人とともに大阪南森町の「ライブハウスD45」に着いた。

ビルの地下一階への階段を下りドアを開けると、薄暗い店内の奥にステージがセットされていて、すでにほぼ満員の観客が詰めかけていた。

受付で支払いを済ませて、席に着く。

 

ステージには、まだおけいの姿は見えない。

しばらくしてうしろを振り向くと、さきほど通った入口におけいがいた。

いま着いたらしい。

でも、開演時間まで数分しかない。

間に合うんだろうか。

やはりここでも、歌うとき常に履くという、バレーシューズに替えるのだろうか。

 

というようなことを心配してたら、当のおけいがすっと横を通りぬけた。

そしてステージに立つなり、いきなり曲を始めた。

着いてすぐに歌い出すとは、やっぱりプロはすごい。

 

一曲目は軽快なバーボンストリートブルース

高田渡の歌だ。

なかなかノリがいい。

 

歌が終わる。

MCが始まるようだ。

おけいは何て喋りだすのだろう。

 

だが、出てきた第一声は、「こんばんは、小池百合子です」だった。

時あたかも、国政進出が取りざたされる東京都知事であった。

初めて聞いたおけいの肉声は、ギャグだった。

 

続けて発した言葉は、「えっ、何やて?!」

 

すこしだけ怒気を含んだような、しかも完璧なる関西弁であった。

よくわからないが、たぶん出身地の岸和田弁のようだ。

おけいが冗談ながらにも怒ってる。

 

どうやらステージのすぐ前に、大阪の顔見知りが何人も陣取っていて、彼らがなにか茶々を入れたようだ。

それに対しての返答が、「えっ、何やて」だった。

 

気の置けない仲間の前で、おけいが素のままの関西人になっている。

いきなりのギャグといい、岸和田弁といい、これまで自分が抱いていた楚々としたイメージが、音をたてて崩れ始めた。

きれいな歌声、そしてテレビやラジオでのおつにすました、標準語の彼女しか知らなかったのに。

 

そんな当方の驚きを知る由もないおけいは、

「 この人たち幼馴染は、私の過去をみんな知っている。あとでこっそり訊かないように 」と、観客にくぎを刺した。

今宵は楽しくなりそうだ。

 

 

おけいはギターサポートの、ドクトルミキというミュージシャンを紹介したあと、

二曲目 雨が空から降れば を歌った。

言わずと知れた、六文銭の名曲。

まさに今夜のような、雨の日の歌だ。

 

三曲目 あめのことば は、まるで六文銭のように の歌。

これもなぜか、雨の歌。

セットリスト通りの、天候に関係のない偶然なのだろうが。

 

ここでおけいは、さきに触れたNHKFM出演の話を切り出した。

放送日から、まだ一か月も経っていない。

「 この番組、お聴きになられた方いらっしゃいます?」と問う、おけい。

友人と自分が手を挙げる。

前のほうの席のひとりも手を挙げ、おけいがそれぞれに礼を言ってくれたのだが、観客は総勢ざっと三十人。

おけいファンばかりのはずが、たった三人しか聴いてない。

 

放送が、あったことを知らない人も多かったろう。

おまけに、8時間にも及ぶ番組だったから、長すぎた。

友人が聴き始めたのも、偶然おけいが出たときからだったらしい。

自分も実は放送を録音しておき、おけいの出演部分しか聴いていない。

お礼を言ってもらったけれど、ちゃんと全部聴いた人は、もうひとりの方だけかもしれません、おけいさん。

 

四曲目は、おけいが復帰する際、及川恒平が祝してくれたという歌。

ただあたたかくからっぽに

 

次に、関西ライブでのサポート、クニエダというハーモニカ奏者が登壇した。

この紹介の際に、「今日来ていただいているは身内の方ばっかりなので、ご紹介する必要はないかもしれません」と、おけいが言う。

もしかしたら、自分と友人のふたりだけがよそ者なのかもしれない。

場違いなところに来てしまったのだろうか。

 

さらにおけいは続ける。

「去年、念願叶い、だんじり祭りのときにライブをさせていただいた」

「大阪に帰ってこれて、めっちゃ幸せなんです。泣いてしまいそう」

そんな前置きから、私の青空

この歌を歌うと、「子どものころ居た、岸和田の実家が懐かしくなる」

興に乗ったせいか、実家の詳しい場所まで話してくれた。

 

SMILE

 

次はギターサポートのドクトルミキと、初めて演る歌らしい。

なのに、おけいが彼にその資料を送ったのは、たったの三日前だったという。

だからうまく演奏してくれるのか、スリルがあると言うおけい。

「わたし、S? ドS?」

 

この話、どこかで聞いたと思ったら、先のNHK番組で語られていたエピソードと似ていた。

おけいが六文銭に入ったとき、小室等は大阪の実家にいる彼女に、歌の資料テープを送った。

そして、これで練習してから、いついつどこそこのコンサート会場に来なさいと指示をした。

本番当日、おけいは初対面のメンバーと簡単なリハーサルだけで、いきなりステージに立ったという。

それが、彼女のフォーク界デビューだった。

プロっていうのは、やっぱりすごいと思う。

星空

 

一部のラストの歌は、

旅の途中

 

しばし休憩を挟んだあとの二部は、ギターサポートのドクトル・ミキの歌からだった。

お父ちゃんの唄

なかなかしんみり、いい歌。

トークも絶品だった。

続けて、おかしな人

これまた軽妙ながら、聴かせる歌だった。

 

おけい再登場。

「懐かしい友達の顔を見ながら、こうして歌えるなんて、幸せなことだと思っております」

「そして皆さんとお会いできたこと、再会もあり、はじめましてもありです」

 

うれしくて

「遠い遠い昔。あっという間でしたね、でもね。ほんとにね。あっという間でした。四十ウン年前」

なぜか昔を懐かしむおけい。

 

「次は、六文銭のファーストアルバムということなので、1972年の歌。キングサーモンのいる島というアルバムに入っている歌。これはわたしが生まれて初めて曲を書きました」

「六文銭以外で親しくお話させていただいてた某ミュージシャンがいまして、その人と仲良くしていた頃があって、その人にこの歌ができたよぉって言って、聴いてもらって、そしたらコードがいまいちピンとこないって言ったら、『これがいいんじゃないのぉ、とか』と言ってもらい、できたのがこの曲」

この某ミュージシャンって、誰なんだろう?

思わせぶりな言い方が気になる。

ホワンポウエルの街

 

おけいのソロCDの曲。

ささやかでも愛の歌

 

「次の歌は、恒平ちゃんが詞を書いて、そして曲はですね、あの方が書いた・・・」 

言いよどむおけいに、ひとりの観客が声を飛ばす。

「 Yさん!」

おけいは、その助け舟にのって、

 「 Yさん・・・。Yさんが書いた曲を歌ってみようと。(Yさんを) 知ってる人は・・・、知らない人は・・・。ガラスの言葉っていう歌、ご存知の方は歌ってください」

ガラスの言葉

はるか昔、初めて買った拓郎のアルバム『元気です。』のラストナンバーだった。

自分の一番好きな歌かもしれない。

 

「 もう一曲、Yさん関係の歌を。これもライブでは欠かせない歌です」

春の風が吹いていたら

待ってました。

はじめて聴いた、おけいの歌である。

 

「それではラストの歌。今日はこんなにいっぱい集まっていただいてありがとうございます」

インドの街を象にのって

 

アンコールの拍手。

「では、(そでに引っ込むことなく)ショートカットで歌わせてもらいます。1年1ヶ月ぶりで来させていただいて、2泊3日でございます。また来年もやらせていただいたら、いいなぁ」

出発の歌

言わずと知れた、六文銭の代表作。

やっぱりこれは盛り上がる。

 

「 もう一曲。旧い友達が今日は来てくれているので、普段あまり歌わない歌をみんなで歌おうと思います  」

浜辺の歌

意外な選曲だったが、これまたよかった。

 

 

 

おけいのライブは終わった。

よかった。

でもすぐ帰らねば。

遠方ゆえ、電車を乗り継いで帰らないといけない。

時間がない。

拍手もそこそこに、席を立った。

 

このあと、簡単な食事会があるらしい。

残ればおけいと話すことができるだろうに、名残惜しいが仕方がない。

地上に出ると、雨はあがっていた。

 

初めて聴いた、おけいのライブ。

楽しかった。

おけいの澄んだ歌声と、アコーティックギターの音色が胸に沁みいった。

 

去年行った拓郎のライブでは、耳をつんざく大音響に疲れてしまった。

歳をとって、感性が変わってしまったようだ。

いまはフォークのような、シンプルな歌が心地よい。

 

しかし、先日のラジオ番組『ラジオでナイト』で、拓郎は言っていた。

「 ギターだけの歌を聴きたいという、おっさんがまだいる 」と。

まさに自分のことだと、苦笑するしかなかった。

彼はこれまでも、この種の言葉を幾度となく吐いている。

アコースティックな拓郎は、もう聴けないようだ。

 

今回のおけいのライブは、その空白感を満たしてくれた。

しかし拓郎の喪失感を、元妻であったおけいが埋めてくれるとは、皮肉が過ぎる。

こういう聴き方は、彼女に失礼かもしれない。

それも、黙っていればいいのに、こんなブログをしたためている。

申しわけない。

 

それでも一度は相思相愛だった、おけいと拓郎。

ふたりがそれぞれ創る歌の世界にも、共通因子があるはず。

聴き手である自分の感性が、両者の音楽に共鳴しても不思議ではない。

 

 

さらには、ブログのタイトルが「 おけいと拓郎 」ということで、もうすこしだけ付け加えさせてもらいたい。

今回のライブMCで、おけいは拓郎の名を言いよどんでいた。

これまでの十数年にわたるステージでも、彼の作曲したガラスの言葉を幾度となく歌ってきて、その都度拓郎という名を口にしてきたはずなに、どうしたのだろうか。

大阪の地、しかも身内の前ということが、彼女の心を乱したのだろうか。

ラジオの番組でも、彼の話はNGだった。

楚々としたイメージの中に、さっぱりとした人柄が今回のライブで垣間見えたのに、いまだおけいにとって拓郎の名はタブーのようだ。

 

おけいがこの夜思わず口走った、「あっという間でした。四十ウン年前」という言葉も気になる。

この年数にとくに深い意味はないかもしれないが、「六十ウン年」なら、彼女の人生の年数そのものとなるから自然である。

しかし「四十ウン年前」である。

彼女の履歴を振り返れば、この年数は、拓郎と出会い別れた頃のそれと重なり合う。

彼が人生のひとつの起点だという意識が、自然と口をついて出てきたのかもしれない。

 

同じくMCで言ってた、「懐かしい友達の前で歌える幸せ」も、きっと本心だろう。

だからライブの冒頭、思わず気も緩んでしまい、普段の言葉遣いがポロリと出てしまったかもしれない。

素晴らしい歌や演奏のみならず、素のおけいがいろんな意味で垣間見えた、楽しくそして貴重な夜だった。

 

 

さて、このブログを閉める前に、ひとつ「 訂正 」がある。

 

今回ライブに誘った友人は幼なじみで、1970年代、拓郎や、拓郎が属した新六文銭のコンサートに一緒に行った仲でもある。

新六文銭とは、六文銭とは異なるグループで、おけいと拓郎が結婚していた時期に活動していた。

 

その友人いわく、新六文銭のステージにおけいがゲスト的に登場して、歌っていたというのである。

ならば、自分はおけいを、そのときに観ていたことになる。

しかしまったく記憶がない。

友人の言うことは、本当なんだろうか。

 

おけいは、また大阪に来るという。

ならばそのとき、直接確かめてみよう。

本人が言葉を濁す拓郎の話だから、とても訊きにくいけれど、

思いきって「 新六文銭で歌ってましたか?」と。

 

不躾な質問に、おけいはご機嫌を損ねるかもしれない。

そしてこう言うかもしれない。

 

「えっ、何やて?!」