南相馬の親戚宅にて。
親戚から話を聞いた。
『屋内待避』と云うが、いつまで、家の中に居なければいけないのか?。
実際、発表される放射線量は少なくなっている。
また、ライフラインの壊れてない地域では、一度避難した人々が戻って来ており、早く復旧に取り掛かりたいと思っているが、手助けも物資も全く来ない。
外部から商品が入らず、車でこっちから買いに行っている。
安全宣言か、避難命令か、はっきりしてほしい。
『屋内待避』と云う中途半端な状態では、復旧への見通しもたたず、不安だけが大きくなるばかりだ……。
総理に来てもらいたい。
できたら、飯館の牛と相馬の魚を食べて行って欲しい。
と訴えていた。