昨日のブログで子供の国語力を上げていく為に
ドリルを購入した話を書いたのですが、
そもそも国語力とは何なのか?と改めて考える
きっかけになったのがこの記事。
冒頭からちょっと驚きの事実が書かれています。
以下、記事より
全国の約120人の現役の教員に話を聞いたところ、
8割が子供たちの「国語力」の弱さを感じていると
回答していました。
8割とはなかなかな数字ですよね。
記事の中には小学校4年生の国語で出てくる
「一つの花」に関する記述があります。
以下、記事より
先の先生が子供たちに「なぜ戦争に行く前に、父親は娘に
コスモスを渡したのか」と尋ねたところ、
「娘が騒いだから罰として与えた」とか「お金儲けのため」
といった答えが続出したそうです。
うん?こんなような内容、以前にも見たことあるなぁと思い、
調べてみたところ、そうそう、「ごんぎつね」の記事の人
でした。
「ごんぎつね」に関しての記事については、ちょっと共感
出来ないところがあったのですが(そもそも「鍋で何を煮ている
でしょうか?」って、質問自体がナンセンスだと思ったので)、
「一つの花」に関しては、確かにこの物語の一番核となる
場面なので、そこを正確に読み解けない、これから戦争に
行って、もしかしたら帰って来れないかも知れない父親の
気持ちを想像出来ない、というのはやはり問題な気がします。
これに対して記事ではこう続きます。
以下、記事より
その先生は、これは単なる誤読ではないと主張されていました。
誤読以前に、言葉をベースにした情緒力、想像力、論理的思考
からなる国語力が不足しているから起こる解釈なのだ、と。
国語力の不足によって行間を補えないということです。
なるほど。何となく分かる気がします。
国語、つまり文学とはとても繊細なもので、それを深く
理解できる人は「心が豊かな人」と言える訳です。
もちろん文章を正確に読み解くためには、色んな
言葉や表現方法を知っていなくてはいけませんが、
記事にある「一つの花」の一場面は所謂語彙力があれば
読み解けるかと言えば、そうではありませんよね。
つまり国語関連のドリルを解くことで語彙力や
文章の構成を理解することは出来ても、それだけでは
上記にあるような
「言葉をベースにした情緒力、想像力、論理的思考からなる国語力」
というものを身に付けることは出来ないと言うことになります。
この辺り、今からでも遅くないと思うので、日常生活で
出来ることをいろいろと試行錯誤して行こうと思います。

