計画停電の行われているときに友人にIH調理器具の有用性を勧めるカップルに哀しさを覚え、大きな旅行用スーツケースを転がしながら両手に衣料品を沢山抱え、その荷物をベンチで夫婦でスーツケースに詰めている姿に愛しさを覚える、二人はそのまま被災地の親類の元へきっといくのだろう。
震災から二週間を迎えても、停電が今日あるのかないのかで一憂し、特定の商品棚には貼り紙で品薄を知らせ続け、ニュースもまあこれはいつもの事だが震災関連に9割方時間をあて、原子力発電所の事故を中心に番組を構成し、被災からはかなり離れて日常生活にはほとんど支障のないはずの以西では何故か自主的にイベントが延期やら中止になっていて、当然都心部ではアミューズメント系の施設は休止をし、強行しようとする一部団体は世間の風当たりも強く、タイミングが難しそうで、日常はあまり変わらず過ぎていくのに気分は落ち着かないまま当分は過ごすしかないのだろう、目が覚めたら何事もなかったなどということはなくむしろはっきりと不安が増していく気分がするのだ。
震災が起こって一番分かったこと、ニュースって本当にどうでも良いことを垂れ流し続けているんだってこと。
震災関係のニュースだけでここ10日余り埋められているニュースで困ってる人がいるというのは未だ聞かない、むしろ情報の必要な人は自分からやっぱり必要なものごとは取りに行くわけなのだなあと納得、余裕があるから無駄があるのか無駄が出来るだけ余裕があるのか、本当に必要な情報とは一体何なんだろうと改めて考えさせられる。
この日を境に世界が変わってしまったように、連日メディアは震災の様子を逐一休まず伝え続け、ネットには流言飛語から励ましまで混沌さをさらにましている、被災し、途方にくれる人たちを遠くで感じ無事やお悔やみを祈り、出来ることは限られていて、それでも現実には停電やら公共交通や物がないと不満を言い、毎日あまり変わらぬ生活を送っている、どれだけ文明が進もうと自然の一部で有り続ける限り人は災害からは逃れられはしない、それでも日々前を向いて生きて行かなくてはいけない、だからきっと立ち上がり、変わってしまった3月11日を来年迎える、そんな被災地へ黙祷をした。
映画を観ている時に、どぎつい場面でちゃんとリアクションをとる隣の女性客が気になって前の席の座高が高くて視界の邪魔になる輩には腹も立たなくなって、この作品の創り手は幸せだなあと羨ましく思う、例えそれが計算じゃなくてもだ。