ファストフードで携帯をいじりながら小さい娘をただ感情で怒る若い母親、娘に同情するのだがちいさな当人はまるで気にしていない、怒るなら椅子の上に靴も脱がずに立ち上がるのを叱るがいい、母に近寄るために動かした椅子を遊びと叱るその悲しさ。その母親が娘を気にせず一人歩き出すと健気に娘は追いかける、若い母よ小さな娘をもっと愛してやれ。
雨の降った後、黄色い粉が自転車のフレームに垂れ後を作り、今年は花粉の量もさることながら飛散し続ける期間も長そうな感じだと思わせる、実際天気予報は非常に多いの真っ赤な画面が今日も続き、身体的にも鼻は出続け眼は痒いまま、桜の散る時にも春着になってもまだまだマスクは外せそうにない。
市販のパンの種類も安かった乾電池も余るほど売っていたヨーグルトも普段好んで食べないカップ麺もわりと好きな納豆も水道水で充分だと思い始めたミネラルウォーターも新学期を迎えても相変わらず電気の薄暗い大型量販店も相変わらずいつもだった日常とはやっぱり暫く違和感のあるまま、ずっとこのままだったらどうなるんだろうという馬鹿げた妄想に取り付かれながら夜の街を電池の切れかけたライトを頼りに自転車で家路につく。
ディズニー映画はたぶん未来永劫子供が観ても大人が観ても楽しめる作品を作り続ける、子供の頃見た不思議の国のアリスに驚き、バグズ・ライフでまた驚かされ、塔の上のラプンツェルでまた驚かされる、同じように今の子供たちは
大人になってそのときの子供のために同じように自分が観ても楽しい作品を作るに違いない、革新的な技術は忘れず
お話はずうっと大きな幹を変えずに喜怒哀楽を盛り込んで、王道堅持の頑固さで、100年後もきっとみんなの心をつかんでいるに違いない、新し事をしようとするとブレがちなのにまっすぐ保守本流、だから僕らはディズニー映画を好きなのだろう。
半年後なのか一年後なのかこの先ずっとなのか、二度と踏み入れる事の無い場所になってしまうのか、それとももうすでに亡国なのか、答えはもうすぐ分かるはず、でも誤魔化されきっと人は生きていく、同じ空の下で苦闘する人に答えはいらない、終息のみが安寧をもたらす。