真夜中の散歩は静かすぎる街に独りでいるようで自由な気持ちになる、時折通りの車を見かけるくらいで他には動く者はなにもおらず、街灯の明かりすら音をさせないようにそっと道を照らしている、家々は生活の気配は無く窓からも常夜灯の明かりがぼんやりと分かる程度で、大概雨戸が閉まって日が昇るまではトイレに行く時くらいしか明かりは灯らない、独りで歩いていると日常陽のある時間過ごしている時間が嘘で本当はこれがずっと続いていてなどと夢想するのだが、夜中に腹が減ると現実として人の営みなしにはこの静けさもそうは感じられないのだと思うと、もう少しだけ夜道を自販機まで歩こうと思うのだ。
取り敢えず、何も解決せぬままに5月も中旬を迎え、次の一手はまだ見つからないまま毎日を無為に過ごす、なんとかなるんじゃないかと思えているうちはまだ良かった気がする、なんとかなどならないと判ってくると人は気分的には焦りだし、ますますなんとかならないような気分になってくるのだ、多分悪循環てこういう感じで徐々に気分を支配していき、あっという間に大概の人間は人生が終わっていくのだろうと思うのだ。
終末にむけて着実に時間は過ぎていく、その結末はもう描かれているのに未だに五感を背け続けている。
だからだろうか、そのままどうにでもなれという思いと、先を見過ぎてちっとも目の前には目を向けられずにいる。なんだか折れそうな気持ちをどうにか保ちながらただ惰性を過ごす。
やってみると分かること、アンチっていうのはいるもので仕方ないと諦めるしかない、同じであると言うことは人は個である以上あり得ない、どこかで共有しているのは見たり聞いたり感じたりすることだけで、そこから先はそれぞれに違う、だからといって全て対にあるものを許容するということも人は難しい、アンチって案外そんなところからでてくるのかもとも思う、もちろんプロは言うに及ばすアンチで良いはずがないのに何故か対立をしたがる、余りに安易にだ。
今日も人がたくさん街へと出掛ける、仕事、勉学、行楽、食事、恋愛などなど思い思いを成すのが義務のように時間が来ると移動する、そして移動しただけ記憶をそれぞれ残すのだ。