寒さは空から降ってくる、痛いくらい寒くなると鼻の穴から冷気を吸い込むのをやめたくなったりしたとしても止めると息は苦しくなるのでどちらかというと息をしたほうがいい、近所のスーパーのレジ係の可愛さや、定食屋の若い店員が河本某に似ていよういまいと近所に最近出来たラーメン屋のイマイチさは寒さを忘れるのには関係がないし、山脈の稜線をくっきりとした群青色と茜色のグラデーションに浮き上がらせるのもこの寒さなのだと地球規模なら納得だ。
うら若い三人組の女性たちが残尿感と連呼しながら劇場を後にしていた、もっと言い様はありそうな気もしながら、観た作品にはぴったりの言い回しなのかも知れないとか思うと実はそういうものかとも品格は別にして思うのです。
門前仲町と清澄白河の街角を歩く、日中今年一番の冷え込みで清澄白河の駅からそのまま帰ってしまいたくなり、現代美術館へはまた今度などとは思わずに昼御飯をとこうかいぼうへ向かう、昼下がりだからか寺町に住宅街だからなのか人影も少なく、都心にいるのを忘れそうになる、とにかく歩けば寺社に出くわし、街角に仏様がいきなり現れたりする、建物も古い外観を真新しく再建していたり全く新しいモダンな姿の家屋やマンションに挟まれながら戦前からありそうな店舗を清澄通り沿いに見られ、清澄庭園へは今度行こうと思いつつ、前を通りすぎ門前仲町方向へ向かう、こうかいぼう前には二人待ち客を店内にもあと三人サラリーマンらしき人影を見て諦めて帰っていく電動付き自転車の紳士、十分待てば食べられたのにと卵かけご飯と魚介ダシの効いたスープ以上に丁寧な接客に感心しながら店を後に、美術館の場所は迷子になりつつなんとか見つけ、一人ではインタラクティブアートなるものに五感を奪われる前にそれらに喜ぶ子供や壊れて体験出来ないインタラクティブにがっかりするカップルや今一インタラクティブに馴れていない案内係の女性たちの方に興を感じながらゆったり見て廻れ心地いい感じ、常設展示の現代アートに首をひねりつつ、観た事のない戦前戦後の芸術運動家たちの絵画に知らないだけでは済まないくらいの感銘を受け、美術館を後にする、再び門前仲町を目指し紀伊国屋文佐衛門の墓の前を通りすぎ、住宅街に三本突き出した銀のスチール煙突で大きな仕出し弁当屋を見つけ、下校する中学生は友人たちと歩道をふさぎ、いつしか大通りの首都高速高架をくぐり、護摩祈祷の経の聞こえる深川不動の仲見世通りに出てお参りしたら駅はすぐそこ。
都会に雪が降った後には小さな雪だるまを街角に見つける、成り立ちは小学生の手になるものか除雪をした管理人に作られたものかは分からない、通勤通学で滑って転んだ恥ずかしい姿を見た彼らも日が射せば姿ははかなく明日にはもうない。
得をした気分になれるからというよりは月に一度の機会に観たい映画をまとめて観ようというくらいの感じになったのは何時からだろうか、それでも良い映画にめぐり会えば良かったなあとか思えればサービスデーも相変わらず有難い日だったりする。