東京は広い上に人も多い、偶然会う確率にはほど遠い街なのにどういうわけか立て続けに二人も銀座の街中で再会する、もっといえばその内一人は渋谷でも以前に偶然会っていて、まあ単にすれ違いざまに普段なにげに知り合いには会っているなか気が付けたかどうかなのかもとは思いながら、さほど都心へ出掛ける機会のない自分の行動からすると、やっぱり偶然にも程があるのではとか自分だけ勝手に思っている。
広島や萩津和野を修学旅行で訪れたはずなのに殆んど記憶の断片を手繰れないし、思い出すといえば中学の京都奈良でのホテルの夕食に添えられたサラダの上に青虫の動いている映像とプロレスのタッグリーグ戦決勝で盛り上がる部屋のテレビ画面くらいなもので、回ったはずの場所やら説明なにやらは断片的にぼんやりと手繰れる程度にしか思い出せない、代わりにやたらと生水は飲むなと言われラグビー部の使うようなヤカンに入ったホテルの麦茶を飲むしかなく、移動中は買い食いは禁止だったにも関わらず、自販機でコーラを買って飲んでしまいさらに喉が渇き、結局水道の水を直接飲んであまりのカルキ臭さに京都の人を気の毒に思い、東京の飲食店に出される水の方がまだましだろうと友人たちと話した事も、東大寺薬師寺清水寺の史実を語るお坊さんたちよりはっきり覚えているのはどうしたものなのだろう、広島萩津和野に至っては高校時代にも関わらず移動日にジャンプの発売日があって丁度その号から鳥山明の新連載が始まるという期待からか誰かが買ったジャンプを回し読みして、表紙が悟空なのをワクワクしながら開いた記憶くらいしかない、泊まりは他のクラスはちゃんと数人部屋なのにどういう手違いなのか最終日部屋を移されクラスの大半が一つの大広間へ押し込まれ外は季節外れの嵐で少しもゆっくり出来ず少しも楽しい思い出にはなっていない、広島の平和記念公園に行ったことも写真を見て多分そうなんだろうというくらいで、バスガイドさんをからかっていたバカな同級生たちの驕声と駅前のお好み焼きビルの食事はなんとなく思い出せたりする、今振り返ると想い出も感慨もない旅行なのはそういうものか。
友人に自転車をもらう、いや借りている、まあどちらでもいい、いずれにしてもしばらくは自分には新たな行動の選択が増え、いままで徒歩ではいけなかった場所をとりあえず走り抜け、必要の無い体脂肪や衰えた筋力は少しはましに
なるのだと思うと、天気のいい日はとにかくペダルをこいでどこかにいくのに、理由はいらない。
なるのだと思うと、天気のいい日はとにかくペダルをこいでどこかにいくのに、理由はいらない。
無料バスに乗るとタダなので得した気分で目的地へたどり着いた気になる、ましてや目的地も見るだけでも結構楽しめる場所だったりするとなおさらで、その場所がどこだかは自分で見つけるべきだけれど特別のはからいで教えると
そこはイケアだったりする、ホットドックセットが150円だったりするのもドリンク飲み放題だったりも多分家族連れや
デートなくても、一人でも楽しめるのは帰りのバス内の一人きりで乗っている人が自分以外にも意外といたりするのを
みかけてやっぱりまた来ようと思ったりするのだった。
そこはイケアだったりする、ホットドックセットが150円だったりするのもドリンク飲み放題だったりも多分家族連れや
デートなくても、一人でも楽しめるのは帰りのバス内の一人きりで乗っている人が自分以外にも意外といたりするのを
みかけてやっぱりまた来ようと思ったりするのだった。
一ヶ月半くらいネットに繋がっていなくてもさして困らないという事を確認できたまだ寒い四月の半ばなのだった。
繋がってみるとメールのチェックとwebページくらいしか利用しないというのもどうかと思う。
繋がってみるとメールのチェックとwebページくらいしか利用しないというのもどうかと思う。