30代でヨガに出会い、そこから「悟り」を求めて約8年間くらい、瞑想(ヴィパッサナー瞑想)にどっぷりはまっていた時期があります。
長時間の瞑想で、あまりの足の痛みに骨から血でてんじゃねーの?ってくらい厳しい修行みたいな事もしてきたけど、そこはザ・昭和世代のド根性
で乗りきってきました![]()
足はものすごく痛いけど、同時に全然痛くなかった。
ずっと生きづらかったので「悟れば!」幸せになれると思って、とにかく!がむしゃらだった。
よかれと思うことは、出来る限りひととおりやった。
昔のボーイフレンドからもらった✨🎁✨、ダイヤモンド💎✨がたくさんついたショパールの時計💕もシャネルのバックも売って身軽になり、人間関係も極力シンプルにして、本
をたくさん読み、テレビ📺️も見ずに世間からどんどん離れていき、断食して脚がマッチ棒のように細くなってしまった事もある![]()
家族からは「お坊さん」みたいと言われた。
注)私は、無宗教です。
きっと心配だったと思うけど、当時の私は自分の見つけた道をただひたすら信じて歩くことしかできなかった。
30代なんて一番女盛りの時期だったのに
💕
だけど、仕方ない。
デートしたりもしたけど、いつも最後の最後には、両方(恋愛と悟りへの道)は手に入らないと心のどこかでずっと思っていたし、自分自身がまだまだ未熟だったので、どんなに素敵な男性でも関係は続かなかったんじゃないかな。
あれから月日がたった今でも、寝てる時以外は、ずっと瞑想(気づいている・内側と繋がっている)状態を心がけている。
もう悟りとか、覚醒体験にはあまり興味がない。
ただ、私が私で在るために続けている。
ずっとずっと求め続けていたものは、一番近くにあった
目を閉じて座る瞑想は、毎朝ヨガの後に5分~10分。
あとは目を開けたまま、社会と関わりながら日常生活をいかに瞑想的に過ごすか。
ゲームのように楽しみながらやる✨
思考が過去や未来にとんでいたら、それに気づいて「今を生きる」。
望むほうに意識をフォーカスして、現実を創造する。
感情がゆれるシーンがあれば、俯瞰して自分の中に「スペース」をつくってあげて、気づいたり浄化したり、どう在りたいか選択したり現実的に行動する。
良い、悪いなどの2極の統合。
今、どんな呼吸をしているか?
毎瞬毎瞬その繰り返し。
今、ここまで書いて読み返して、一体何が面白くてやってるの?と思わず笑ってしまった![]()
オモロ、私w
だけど、もうこうゆふうにしか生きられないし、自分から離れることのほうがずっとこわい。
ただただいつも自分と繋がっていたい。
そうじゃないと外側の世界にカンタンに翻弄される、糸の切れたタコのようで心もとなくて、目の前に繰り広げられる現実に対して、なんにもできないちっぽけな存在になってしまう。
本当は、全く違うのに。
私たちは自分が思っている以上の存在で、さまざまな体験を「観察」する側のエネルギー体です✨
誰の中にも、私は女性です。とか、仕事は○○をしています。とか、名前は○○です。趣味は○○です。といった役割や肩書き、性別や肉体を越えた「本当の自分」がいる。
そして、その本当の私たちは「歓喜」という歓びに満ち溢れた、パーフェクトな存在だったりする✨
信じられないけど、ホントのこと。
だから外に求めても答えはなくて、いつだって自分の内側にしか答えはない。
その内側の静寂に深く深く入っていく。
1人1人の中にその人だけの「真実」がある✨
なので、こうなってくるともう誰かのせいとか、なにかのせいにはできなくて人生の舵取りは自分自身になる。
どこにいても 何をしていても とても自由だ
そして一番大切なのは、幸せになるのを
諦めないこと
こんな事を書く私は、子供の頃から少し変わっていたかもしれない![]()
![]()
![]()
shanti🌎️![]()