「罪悪感を持ったり、自分を否定したり責めたりしないでくださいね。」

 

やると、必ずうつ病になれます。最後、自殺します。か、人を殺しますから。(犯罪)運が悪いとね。

 

人を殺すって言いすぎかもしれませんが、僕は16歳、殺人未遂(濡れ衣)で留置所に入っていた時がありました。東京検察庁に行ったのです。そこでは大人の犯罪者の方と一緒になるのです。

 

一緒の鉄格子のかけた中に入れられます。

 

だいたいいる時間は、午前9時〜午後5時ぐらいまでです。

 

まるで学校に行く感じですね。

 

 

1つの部屋に5、6人。

 

「暇ですよね。」

 

だから話をするのです。大人の犯罪者の方と。

(全く話をしたくないのですが、話しかけれるのです。)

 

 

中には人を殺している方もいました。

 

 

普通ないです。いろんな犯罪者の方と話をする機会って。

 

 

「こんな環境を、未成年に与えるな」と思いましたが。

 

今は知りませんが、当時はそうでした。

 

 

 

それで、話ながら思っていました。

 

 

 

「どんなふうにしたらこんなに人は壊れてしまうのだろう」と。

 

 

「もうなおらないだろうな」とも思いました。

 

 

「なぜこの話を笑ってできるねん」と何度も思いました。

 

 

「それは笑って話す内容違うだろ」と思いました。

 

 

ひいていくのです。

 

ここでは言えないことが多いです。

 

言ってもいいのですが、今日のご飯がきっとまずくなるので言わないでおきますね。

 

 

 

「壊れている人がいっぱいいるなあ」と思いました。

 

 

 

それから僕は八王子鑑別所と徳島鑑別所に行きました。

 

そこで思ったのは、「誰も壊れている人はいない」と思ったのです。

 

「いい人が多いなあ」と思いました。

 

 

鑑別所に入っている人をそう思うのはおかしいのかもしれませんが、僕はそう思ったのです。

 

鑑別所だから、未成年です。

 

むしろ僕は、鑑別所に入っていない人は、いい人とはあんまり思わなかったです。

 

鑑別所の中にいる方のほうが、人間関係がとてもあたたかったのです。

 

むしろ、社会(外)でいる方が、人間関係が冷たい感じがしました。

 

 

たとえば、「義理」や「人情」という言葉があるなら、鑑別所の中にいる方が味わえるのです。

 

人を大切にしているのです。

 

 

 

なんで鑑別所に入って、いい人多いなあと思ったんでしょうね。

 

冷めていないと思ったのです。

 

 

もがきくり苦しんでいる部分はあると思いますが、素敵な心を持っているなあと思ったのだと思います。

 

 

「悪いんだけど、良いところもたくさんあるような感じです。」

 

 

どちらかというと、一般社会は、

 

「悪くもないけれど、良くもない」

 

「人を傷つけもしないけれど、良いこともしない」」

 

「可もなく、不可もなく」

 

そんな感じでしょうか。

 

 

淡々としているような感じです。

 

どちらも似たような感じかもしれませんが。

 

 

人を喜ばせることもしないけれど、迷惑もかけない、そんな感じです。

 

 

 

それで鑑別所の中で、1回僕は鳥肌が立ったことがあるのです。

 

 

疑問があったのです。大人の犯罪者を見て「壊れているなあ」と思いました。

 

「なおらないんじゃないか」と思えるほど。

 

 

実際、なおらないと思いました。

 

けれど、鑑別所に行くと、そう感じる人は1人もいないのです。

 

 

それで「壊れているなあ」と感じた人は、はじめから壊れているわけはないと思ったのです。

 

 

赤ちゃんの時から壊れていたかって、そうではないと思います。

 

 

「どこかで壊れたのです。」

 

 

「なぜそうなるのかがわからなかったのです。」

 

「どうしたらそうなるのだろう」と。

 

 

疑問でした。

 

「いつ、どこで、なぜ人は壊れるのか」と。

 

 

 

その疑問を抱かえたまま、鑑別所に行き、生活をしていました。

 

それで僕は鑑別所に行って、毎日反省文を書かされていたのです。

 

 

これは全員です。

 

 

それでそれをみた時、僕は鳥肌が立ったのです。

 

「これだ」と思ったのです。

 

 

これが壊れさせていると直感的に思ったのです。

 

 

 

一緒に入っている鑑別所の子の反省文を読みました。

 

「そこには、罪悪感を持つ、自分を否定したり責める言葉のオンパレードだったのです。」

 

 

それで看守や人は、それをみて、「よく反省している」みたいに思うのです。

 

 

 

僕がひいた瞬間です。

 

 

人が壊れる、壊れた謎が解けたのです。

 

 

あくまで僕なりにですけどね。

 

 

 

「罪悪感を持つ、自分を否定したり責めたりすると、壊れて、人は同じ過ちを起こすのです。繰り返すのです。」と、僕はその時思いました。

 

 

 

そこから26年歳月が経ちますが、その考えは今も変わっていません。

 

はじめは直感でしたが、今はいろいろ言えるようになりました。

 

あっているかは知りません。あくまで僕の主張です。

 

だけど別に自分を否定したり、責めたりしなくてもいいと思います。

 

やって何か得がありますでしょうか?

 

 

反省とは別に「次やらないこと」それだけだと思うのです。

 

あとやったことにおいて責任をとることです。

 

別に自分を責めたり否定したりする暇があるなら、次にやらないようにというか「こうしよう」とこたえを出して、それにとりかかればいいのです。

 

あと責任をとる行動をとればいいのです。

 

 

 

自分を責めたり否定しない方がいいです。

 

それによって「自分逃げている」と自覚をした方がいいです。

 

「責任から逃げている」のです。

 

自分を責めたり否定することで、責任を回避しようとしているのです。

 

自分を責めたり否定することで、責任をとっていると勘違いしているのです。

 

自分を責めたり否定する時間を、反省して、次はこうすると思ったもの、決めたものに動き出せばいいのです。

 

それが責任をとるです。

 

 

自分を責めたり否定することは「自分へのいじめ」でしょう。

 

それで、自分を責めたり否定することで「私をこれ以上いじめないで」と言っているのだと思います。

 

「いじめの世界です」

 

その世界にいるのじゃなくて、「やること」に自分のエネルギーを注ぎたいです。

 

やることが責任をとるであり、いじめはその逆の「責任回避」です。

 

だから自分の人生がどんどん「終わっていく」と思います。

 

やれば、人生が素敵になっていくはずです。

 

 

自分を責めたり否定することをさせたい人もいます。その人はきっと「その人をいじめたい」のです。

 

だからと言って、いじめたい人が求めるように、自分を責めたり否定しないことです。

 

 

「自分を責めたり否定せずに、さあ、顔をあげて素敵な人生をつくっていきましょう」