福が離婚に至った理由として『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』にはこう書かれています。
福が夫に恨みを抱き、まだ幼いわが子の稲葉正勝(後の小田原藩主)を抱きかかえて家を飛び出したというのです。
福が夫の女性遍歴を苦々しく思っていたという史料もあり、離婚原因はいわゆる夫の「不倫問題」にあったことになります。
現代の感覚からいっても、まだ、この説のほうが理解しやすいのではないでしょうか。
ただ、そうなると福が夫と離縁したあとに竹千代の乳母になったことになり、通説とは順序が逆転します。
そこで筆者は、竹千代の母である江(ごう=2代将軍徳川秀忠の御台所)付きの奥女中、民部卿局(みんぶのきょうのつぼね)が女中たちの中から福に目をつけ、推薦したという説をとりたいと考えます。
こうして福がもともと江の女中の一人であり、秀忠の目に止まる立場にあったのなら、もう一つの謎に繋がってきます。
家光の生母が福ではないかという噂です。
その最大の根拠は、竹千代の誕生日が、江の死後まで秘匿されていたことにありました。
(つづく)