いったん、稗田阿礼について架空人物説が力を得ました。
ところが、阿礼の時代からかなり時代が下るものの、延喜20年(920)の史料で「稗田福貞子」「稗田海子」という人物が確認できます。
つまり、氏名なのか姓名なのかは別にして、稗田を名乗る一族がいたことになります。
また、阿礼が架空の人物だとしたら、太安万呂は元明天皇に偽りを語ったことになってしまいます。
なぜなら、序文は『古事記』を献上した元明天皇に対して安万呂が書いたものだとされているからです。
実在の人物だからこそ安万呂は、阿礼が誦んだものを筆録したと天皇に報告できたのでしょう。
たしかに『新撰姓氏録』などに稗田の氏名が記載されないのは気になるところですが、序文が偽書(ホンモノに見せて書いた書)でないことを原則に考えますと、安万呂が無礼を覚悟でわざわざ天皇に架空の人物の名を示す理由がなく、阿礼は実在したといえます。
(つづく)
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