慶応3年(1867)5月14日、ついに四侯会議のメンバー全員が顔を揃えました。
かつて酔った勢いで彼らに暴言を吐いた慶喜ですが、この日は一転します。
たえず低姿勢で夕食の用意を整え、さらには老中や若年寄ら幕閣にメンバーの相伴(しょうばん)役を命じ、夕食の後は4人を庭に誘って記念写真まで撮ったのです。
その慶喜と4人の話し合いでは久光が異論を唱えますが、やはり論破されてしまいました。
続いて24日、午前1時から夜を徹した朝廷の会議に久光は姿を見せず、慶喜の独壇場となりました。
こうして正午まで続いた会議で、慶喜は強引に兵庫港開港勅許の内定を取り付けたのです。
この剛腕ともいえる彼の政治力に、敵対勢力である長州藩の桂小五郎も舌を巻きました。
彼が慶喜を「家康の再来」と評したのはこのころです。
討幕勢力への注意を喚起すべく、敢えて賛辞ともとれる評価を下したのでしょう。
(つづく)
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