平維盛らがもう少し耐え忍んでいたなら、平氏に挽回のチャンスは十分にありました。
というのも、平清盛はこのとき軍勢を大増派する秘策をめぐらせていたからです。
『山槐(さんかい)記』によりますと、平頼盛・教盛らの弟たちを源氏追討のために下向させることに加えて、清盛は、
「鎮西武士、船より遣わすべき」
という画期的な作戦を練っていたことがわかります。
この時代の軍勢召集方法は、陸路の行軍にあわせて現地の武士団を糾合するのが常識です。
ところが、清盛が立てた策はその常識を打ち破り、九州の武士団を兵船数艘に分乗させ、兵粮とともに一挙に東国まで大量輸送する作戦だったのです。
この作戦は、維盛の大失態によって頓挫しますが、もしも実行されていたら、後世の歴史家から画期的な作戦として評価されていたかもしれません。
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