藤孝らの奔走の甲斐あって、織田信長が義昭を奉じて上洛を果たし、義昭は一五代将軍となります。
おそらく、その翌年の永禄一二年(1569)四月一九日付だと考えられますが、幕府奉公衆の連署状が残り、そこには、細川藤孝・明智光秀・三淵藤英(藤孝の兄)・上野秀政の順に署名されています。
必ずしも席次順に記載されると限った話ではありませんが、一般的な例に従うなら、藤孝は同じ幕府奉公衆でも、兄(三淵)や友(明智)より高い席次にあったことになります。
やがて信長に仕えた藤孝は、細川姓を捨て、山城国の長岡郷(長岡京市付近)に領地を持っていたことから、関ヶ原合戦のころまで長岡藤孝と名乗ります。
こうして「本能寺の変」を迎えます。
それでは、藤孝はそのとき、どのような行動をとったのでしょうか。
(つづく)
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