安政五年(1858)、除痘館の活動は政府公認となり、活動はいよいよ本格化します。
その間、日本にとって重大な事件が起きていました。ペリー来航です。
その翌年の嘉永七年(1854)、ペリーは再来日し、三月三日、幕府と日米和親条約を締結しますが、直後の三月二五日、洪庵はのちに暗殺される甥の吉備津神社(岡山市)神官にこんな手紙を出しています。
「じつにこの節、天下の一大事。二百余年の恩沢に浴しながら、うかうかと寝食を安んじおり候時節にはこれなく、身分相応の忠節は尽くしがたき事にこれあり候へども、蛆虫同然の身分何をいたし候ても、さらに省みる人もこれありまじく、ただ慷慨にて日を暮らし候事なり」
江戸留学時代に按摩のバイトをしながら学費を稼いだという苦学生だっただけに、とても寝食を安んじているとは思えませんが、黒船来航とアメリカとの条約締結は洪庵をしてそう思わせるほどの出来事だったのでしょう。
また洪庵は、蛆虫同然で省みる人もいないため、ただただ慷慨(悲憤)するしかないと嘆いており、まるで尊王攘夷の志士たちが同志たちをアジるときのような過激さです。
しかし、そのままの勢いで政治活動にのめりこむことなく、洪庵が次に取り組んだのがコレラ対策でした。
(つづく)
【著者新刊情報】『江戸東京透視図絵』(五月書房新社。1900円+税)
編集者「町歩きの本をつくりましょう。町を歩きながら、歴史上の事件を“透かし見る”という企画です」
筆者「透かし見る?」
編集者「そうです。昔そこであった事件や出来事のワンシーンをイラストレーターの先生に描いてもらい、現実の写真と重ね合わせるんです。つまり、町の至る所に昔を透かし見るカーテンのようなものがあると考えてください」
筆者「それってつまり、“時をかけるカーテン”ですね。そのカーテンがタイムマシンの役割を果たしてくれるんですね!」
編集者「まあ、そんなところでしょうか……」
筆者「やります、やります。ぜひ書かせてください!」
という話になって誕生したのが本書。新しいタイプの町歩き本です。
【著者新刊情報】『明智光秀は二人いた!』(双葉社、1000円+税)
明智光秀はその前半生が経歴不詳といってもいいくらいの武将です。俗説で彩られた光秀の前半生と史料的に裏付けできる光秀の後半生とでは大きな矛盾が生じてしまっています。そこでこんな仮説をたててみました。われわれは、誰もが知る光秀(仮に「光秀B」とします)の前半生をまったく別の人物(仮に「光秀A」とします)の前半生と取り違えてしまったのではなかろうかと。この仮説に基づき、可能な限り史料にあたって推論した過程と結論を提示したのが本書です。 したがいまして、同姓同名の光秀が二人いたというわけではありません。最近では斎藤道三について「父と子の二代にわたる事績が子一人だけの事績として誤って後世に伝わった」という説が主流になっています。そう、斎藤道三も「二人いた!」ということになるのです。
【著者新刊情報】『超真説 世界史から解読する日本史の謎』(ビジネス社、1600円+税)
日本史が世界史の一部であることはいうまでもありません。そこで大真面目に「世界史から日本史を読み解いてみよう」と考えました。その結果を最新刊に凝縮させました。 弥生・古墳時代から現在に至るまで、日本は東アジアはもとより、ヨーロッパやイスラム諸国からも影響を受けながら発展してきています。弥生時代の「倭国大乱」から明治新政府による「日韓併合」まで、日本史を国際関係や世界史の流れから読み解きました。