天文一三年(1544)、信秀が越前の朝倉勢とともに、二万五〇〇〇の大軍で稲葉山城(岐阜市)の城下近くまで攻め寄せたとき、道三は籠城と決めますが、城下近くの村々は織田勢に蹂躙されてしまいます。
そして日没近くなり、信秀はいったん軍勢を退きはじめました。
道三はこの機会を待っていたのです。
稲葉山城の城門がさっと開くや、斎藤勢が出撃して、背後から織田勢へ攻めかかりました。
不意を衝かれた形の織田勢は崩れ立ち、木曽川に逃れて溺死者が後を絶たなかったといいます。
信秀は五〇〇〇の犠牲を出して大敗したのです。
大河ドラマ『麒麟がくる』では天文一六年(1547)の事だとして描いています。
では、一三年と一六年のどちらが正しいのでしょうか。
連歌師の宗牧が斎藤勢に大敗した直後、当時まだ那古屋城にいた信秀を訪ねています。
それが天文一三年ですから、「一六年説」は誤りということになります。
しかし、NHKに代わって弁解させていただきますと、各史料から天文一六年にも信秀は稲葉山城を攻めたものの、大敗したと読めるのです。
(つづく)
【著者新刊情報】『江戸東京透視図絵』(五月書房新社。1900円+税)
編集者「町歩きの本をつくりましょう。町を歩きながら、歴史上の事件を“透かし見る”という企画です」
筆者「透かし見る?」
編集者「そうです。昔そこであった事件や出来事のワンシーンをイラストレーターの先生に描いてもらい、現実の写真と重ね合わせるんです。つまり、町の至る所に昔を透かし見るカーテンのようなものがあると考えてください」
筆者「それってつまり、“時をかけるカーテン”ですね。そのカーテンがタイムマシンの役割を果たしてくれるんですね!」
編集者「まあ、そんなところでしょうか……」
筆者「やります、やります。ぜひ書かせてください!」
という話になって誕生したのが本書。新しいタイプの町歩き本です。
【著者新刊情報】『明智光秀は二人いた!』(双葉社、1000円+税)
明智光秀はその前半生が経歴不詳といってもいいくらいの武将です。俗説で彩られた光秀の前半生と史料的に裏付けできる光秀の後半生とでは大きな矛盾が生じてしまっています。そこでこんな仮説をたててみました。われわれは、誰もが知る光秀(仮に「光秀B」とします)の前半生をまったく別の人物(仮に「光秀A」とします)の前半生と取り違えてしまったのではなかろうかと。この仮説に基づき、可能な限り史料にあたって推論した過程と結論を提示したのが本書です。 したがいまして、同姓同名の光秀が二人いたというわけではありません。最近では斎藤道三について「父と子の二代にわたる事績が子一人だけの事績として誤って後世に伝わった」という説が主流になっています。そう、斎藤道三も「二人いた!」ということになるのです。
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日本史が世界史の一部であることはいうまでもありません。そこで大真面目に「世界史から日本史を読み解いてみよう」と考えました。その結果を最新刊に凝縮させました。 弥生・古墳時代から現在に至るまで、日本は東アジアはもとより、ヨーロッパやイスラム諸国からも影響を受けながら発展してきています。弥生時代の「倭国大乱」から明治新政府による「日韓併合」まで、日本史を国際関係や世界史の流れから読み解きました。