戦国武将の父シリーズ「武田信玄の父」③[守護大名から戦国大名へ] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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甲斐の守護所のあった石和館へ攻め寄せられた信虎は、恵林寺(塩山市)へ逃れて九死に一生をえます。

 

そののち態勢を挽回し、福島(くしま)正成率いる今川勢は勝山城へ引きました。

 

そこで信虎は城を兵糧攻めにします。

 

結果、正成が今川氏親に泣きつき、武田と今川は和睦します。

 

ちなみに、この和睦の労をとったのが著名な連歌師の宗長でした。

 

その宗長は、駿河島田の鍛冶職の家に生まれ、今川氏に仕えました。一休参禅したのち、宗祇に連歌を学びます。宗祇の死後、連歌界の指導者となった人物です。

 

 

 

 

今川勢が駿河へ撤兵したあと、信虎は和睦の証として大井信達(のぶさと)の長女を正室に迎えました。

 

彼女は大井夫人と呼ばれ、武田晴信、のちの信玄を生みます。

 

こうして甲斐平定を前進させた信虎は、永正一六年(1519)、守護所を石和館から府中の躑躅ケ崎(甲府市)へ移し、以降、甲府が甲斐の中心となりました。

 

信虎はただ守護所を移したのみならず、国衆らが家族ごと住めるよう館の周囲に屋敷地を与えました。

 

彼らの家族を人質とするためです。

 

信虎はここに、守護大名から戦国大名への道を歩みはじめたといえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

※緊急事態宣言の期間中、みなさんの「ステイホーム」を応援するため、ブログを毎日更新いたします。これまでは週2回のペースでした。

 

【著者新刊情報】『江戸東京透視図絵』(五月書房新社。1900円+税)

編集者「町歩きの本をつくりましょう。町を歩きながら、歴史上の事件を“透かし見る”という企画です」

筆者「透かし見る?」

編集者「そうです。昔そこであった事件や出来事のワンシーンをイラストレーターの先生に描いてもらい、現実の写真と重ね合わせるんです。つまり、町の至る所に昔を透かし見るカーテンのようなものがあると考えてください」

筆者「それってつまり、“時をかけるカーテン”ですね。そのカーテンがタイムマシンの役割を果たしてくれるんですね!」

編集者「まあ、そんなところでしょうか……」

筆者「やります、やります。ぜひ書かせてください!」

という話になって誕生したのが本書。新しいタイプの町歩き本です。

 

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