「斎藤道三は二人いた!」になったのはなぜか?(最終回)[道三追い落としのクーデター] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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悪評にまみえた道三にしたら、「一文銭の計り売り」の話は人気取りに繋がります。

 

父子の国盗りという事実がいつしか、一人の話として“合体”されてしまった背景には、道三自身、「一人説」を吹聴していたという事情があったのかもしれません。

 

通説では、「土岐頼芸の落とし胤」という噂のあった義龍が、弟たちを寵愛する父に不安を感じ、実父(土岐頼芸)の仇である道三を攻め滅ぼしたといわれています。

 

 

 

さらに通説はこうつづけます。

 

道三はまず、天文二三年(一五五四)、義龍に家督を譲ります。

 

ところが、その後、義龍と道三との間に亀裂が生じ、道三は義龍を廃嫡しようとします。

 

そこで義龍は弘治二年(一五五六)に兵をあげ、隠居していた父道三を長良川の河畔で攻め滅ぼしたというのです。

 

しかし、この通説は見直す必要がありそうです。

 

そもそも、道三が義龍に家督を譲ったとは考えにくいのです。

 

この一件は、義龍を中心に家臣団がまとまり、道三追い落としのクーデターであった可能性が高まっています。

 

道三は国を盗んだものの、数年で家臣たちによって攻め滅ぼされてしまったのです。

 

【著者新刊情報】『江戸東京透視図絵』(五月書房新社。1900円+税)

編集者「町歩きの本をつくりましょう。町を歩きながら、歴史上の事件を“透かし見る”という企画です」

筆者「透かし見る?」

編集者「そうです。昔そこであった事件や出来事のワンシーンをイラストレーターの先生に描いてもらい、現実の写真と重ね合わせるんです。つまり、町の至る所に昔を透かし見るカーテンのようなものがあると考えてください」

筆者「それってつまり、“時をかけるカーテン”ですね。そのカーテンがタイムマシンの役割を果たしてくれるんですね!」

編集者「まあ、そんなところでしょうか……」

筆者「やります、やります。ぜひ書かせてください!」

という話になって誕生したのが本書。新しいタイプの町歩き本です。

 

【著者新刊情報】『明智光秀は二人いた!』(双葉社、1000円+税)

明智光秀はその前半生が経歴不詳といってもいいくらいの武将です。俗説で彩られた光秀の前半生と史料的に裏付けできる光秀の後半生とでは大きな矛盾が生じてしまっています。そこでこんな仮説をたててみました。われわれは、誰もが知る光秀(仮に「光秀B」とします)の前半生をまったく別の人物(仮に「光秀A」とします)の前半生と取り違えてしまったのではなかろうかと。この仮説に基づき、可能な限り史料にあたって推論した過程と結論を提示したのが本書です。 したがいまして、同姓同名の光秀が二人いたというわけではありません。最近では斎藤道三について「父と子の二代にわたる事績が子一人だけの事績として誤って後世に伝わった」という説が主流になっています。そう、斎藤道三も「二人いた!」ということになるのです。

【著者新刊情報】『超真説 世界史から解読する日本史の謎』(ビジネス社、1600円+税)

 日本史が世界史の一部であることはいうまでもありません。そこで大真面目に「世界史から日本史を読み解いてみよう」と考えました。その結果を最新刊に凝縮させました。 弥生・古墳時代から現在に至るまで、日本は東アジアはもとより、ヨーロッパやイスラム諸国からも影響を受けながら発展してきています。弥生時代の「倭国大乱」から明治新政府による「日韓併合」まで、日本史を国際関係や世界史の流れから読み解きました。

 

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