日本全国には「ソルトロード」、すなわち「塩の道」と呼ばれる街道がいくつかあります。
もちろん、塩以外の物資も運びましたが、生活必需品である塩を主に運んだからそう呼ばれています。
越後から信州にも「塩の道」が通り、現在の行政区分でいうと、新潟県の糸魚川市から長野県の松本周辺を結ぶ全長一二〇㌔の千国街道(糸魚川街道・松本街道ともいう)がそれにあたります。
松本市では毎年一月一一日に「あめ(飴)市」が開かれますが、もともとは「塩市」でしした。
松本の地に謙信からの“義塩”が届いたのが一月十一日で、それを記念して開催されるようになったと伝わっています。
甲府市の石油製品販売業者・吉字屋
本店のホームページによりますと、当時塩問屋を営んでいた塩屋孫左衛門(初代)が武田信玄の命を受けて越後へ塩を取りに行き、無事、松本まで運び終えたのが例の一月十一日。
甲府に帰着したのが同十四日だったという伝承があるといいます。
(つづく)
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