大老堀田正俊「殿中刃傷事件」の真相②[加害者と被害者の意外な関係] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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 大老刺殺の犯行現場は将軍の御座所近くでした。

 

 よって、大久保忠朝・戸田忠昌・阿部正武といった老中の面々が現場に居合わせています。

 

 彼らはすぐさま変事に気づき、寄ってたかって正休を切り刻んだといいます。

 

 浅野内匠頭の場合はその日、切腹という場を与えられましたが、この大老殺害犯は吟味されることもなく、犯行後すぐさま成敗されたのです。

 

 これまた、異常事態といわざるをえません。

 

しかも、被害者の正俊と加害者の正休は一族どうし。

 

稲葉正成が春日局と離縁したのち再婚した後妻に産ませた子が稲葉正吉。

 

その正吉の子が殺害犯の正休です。

 

一方、正成の前妻との間の娘が堀田正利に嫁ぎ、正盛を生みます。この正盛は三代将軍家光の男色相手といわれ、その寵愛をえて、家光が亡くなった時に殉死する人物です。

 

その正盛の三男が正俊という関係となります。

 

春日局は実子の稲葉正勝が亡くなったあと、義理の孫にあたる正盛を可愛がり、その関係で正俊を猶子に迎え、正俊は大奥で養育されたといいます。

 

その縁で正俊は将軍家光に目をかけられ、四代将軍家綱の小姓から異例の出世を遂げました。

 

 

(つづく)

 

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