ここで遅まきながら、荒木又右衛門その人に登場願いましょう。
柳生新陰流の達人とされていますが、謎多き人物です。
当時、又右衛門は大和郡山藩で剣術指南をつとめていました。
その又右衛門の妻は、数馬の姉。
又右衛門は義弟の数馬の仇討ちを知り、
「貴殿一人にては心もとなく候」
と助太刀を買ってでたのです。
又右衛門と数馬は又五郎を探しまわり、江戸から京、さらには、
「又五郎、有馬の湯に入湯のよし」
という情報をつかむものの、捕えきれず、寛永十一年(1634)十一月五日の夜、ようやく又五郎が奈良にいることを掴みました。
又五郎が伊賀越えで江戸へ向かうと知った又右衛門らは七日の朝、伊賀小田町の鍵屋の辻において、総勢四名で待ち伏せます。
一方、又五郎も、叔父の河合甚左衛門らに助太刀を願い、総勢十一名。
因果なことに、その甚左衛門も大和郡山藩で剣術指南役をつとめ、又右衛門とは朋輩の関係にありました。
結果、六時間といわれる激闘の末、見事に数馬は仇討を成し遂げますが、又五郎方総勢十一名のうち、討ち取られたのは四名のみでした(数馬方も一名死亡)。
又右衛門の「三十六人斬り」というのはまったくの出鱈目です。
しかし、この仇討ちを喧伝するには、又右衛門というヒーローが必要であり、このような尾鰭がついたのでしょう。
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