軍配者と呼ばれる人たちは、兵法や占術はもちろん、気象予測にも優れた者でなければなりません。
あらゆることに通じた知識が求められる職業でした。
たとえば石宗は、
「城郭を攻むるに十日をすぎて雷鳴らず、雨降らずば、必ず敵城に助勢あるか、さなくば味方に謀叛人できるか、いかさま城は強かるべし」(『大友荒廃記』)
と、弟子に講釈しています。
それは「城の気」を読んだ結果だといいます。
また、実際の合戦でこんなことがあったようです。
戸次鎮連(石宗の弟子の一人)という大友宗麟の家臣が敵城からあがる狼煙をみて、何かの合図かと思いました。
ところが、石宗は「不吉の相」が出ているといい、「合図にはあらず。ただ策なり」」(『大友荒廃記』)と鎮連に告げ、敵の策略を見破ったというのです。
しかし、こういう人物にはとかく尾ヒレがつきやすく、超能力者ではないかと思うような記述もみられます。
たとえば、石宗が山岳修験者の尊崇厚い蔵王権現の前で祈りを捧げていると、虚空から脇差がひとつ降ってきて石宗の前に落ちたといいます。
石宗がその脇差を谷に向かって投げ入れるや、
「たちまち谷より風吹き起こりて、かの脇差を虚空に吹き上げて、しばらくは浮雲に隠れて見えず」」(『大友荒廃記』)
という現象が起きたというのです。
(つづく)
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