軍師ならぬ「軍配者」の実像と虚像②[不吉の相] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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軍配者と呼ばれる人たちは、兵法や占術はもちろん、気象予測にも優れた者でなければなりません。


あらゆることに通じた知識が求められる職業でした。



たとえば石宗は、


「城郭を攻むるに十日をすぎて雷鳴らず、雨降らずば、必ず敵城に助勢あるか、さなくば味方に謀叛人できるか、いかさま城は強かるべし」(『大友荒廃記』)


と、弟子に講釈しています。


それは「城の気」を読んだ結果だといいます。


また、実際の合戦でこんなことがあったようです。


()(っき)鎮連(しげつら)(石宗の弟子の一人)という大友宗麟の家臣が敵城からあがる狼煙をみて、何かの合図かと思いました。


ところが、石宗は「不吉の相」が出ているといい、「合図にはあらず。ただ策なり」」(『大友荒廃記』)と鎮連に告げ、敵の策略を見破ったというのです。


しかし、こういう人物にはとかく尾ヒレがつきやすく、超能力者ではないかと思うような記述もみられます。


たとえば、石宗が山岳修験者の尊崇厚い蔵王(ざおう)権現(ごんげん)の前で祈りを捧げていると、虚空(こくう)から脇差がひとつ降ってきて石宗の前に落ちたといいます。


石宗がその脇差を谷に向かって投げ入れるや、


「たちまち谷より風吹き起こりて、かの脇差を虚空に吹き上げて、しばらくは浮雲に隠れて見えず」」(『大友荒廃記』)

 

 という現象が起きたというのです。


(つづく)



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