安政の大獄の謎① | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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 NHK大河ドラマ「八重の桜」がスタートしました。視聴率もなかなか好調のようです。


 そこで本シリーズより、幕末ネタを数本取り扱ってみたいと思います。


 まず第一弾は、「八重の桜」の初回に登場した井伊直弼(彦根藩主)にまつわるネタ。ドラマの中では榎木孝明が直弼に扮し、会津藩主松平容保と言葉を交わすシーンも登場しました。


 ドラマでは、まだ直弼が「溜まりの間」詰めだった設定になっていますが、ご承知のとおり、彼はのちに幕府の大老となり、安政の大獄を断行します。


 安政五年(1858)から翌年にかけて、江戸幕府がおこなった大弾圧です。


謹慎を含めて処罰された者は一〇〇名をこえ、その対象も、水戸藩を中心とする尊攘派の志士はおろか、諸侯から公卿・宮家にまで及びました。


刑死者は八名。この中には、松下村塾で久坂玄瑞・高杉晋作を育てた長州藩士の吉田松陰も含まれています。


さらに容疑者の取り調べにあたっては苛烈な拷問がおこなわれ、尊攘派志士の先駆けとされる元小浜藩士・梅田雲()ら獄中死した者が六人もいました。


そのほか、逃亡中に入水自殺を遂げた尊攘派の僧月照(京都・清水寺成就院住職)らを加えると、死者は合計二〇人以上に達しました。


しかも、この大弾圧をおこなった(直弼は、奉行らの裁きより罪を一重くし、たとえば「追放」となった者を「死罪」に処すという強い姿勢で臨みました。


いったい直弼は、なぜこのような大弾圧を断行したのでしょうか。


いまいちど、この「幕末の大事件」を考えてみたいと思います。

(つづく)