『機動戦士ガンダムGQuuuuuuX』を観終えました。
途中までの感想はコチラ。
最終回まで観終えて、ただただポカーンでした(笑)。
ガンダム作品はオモチャと密接にリンクする番組ですが、近年ではそこに楽曲も追加されるようになったようです。
つまり、バンダイとソニーが儲かる確約さえあればタイトルに”ガンダム”と付けてもいいんだなと。
そして作れる条件が揃えば、あとは好き放題に何をやっても構わない。もうガンダムシリーズにおける宇宙世紀系はフリー素材みたいなモンだよね。
そんな感じで、まぁ話半分くらいに見るくらいでちょうどいい作品だと感じました。
後年にはパロディ作品として、特にネット特有の冷笑の対象として認知(ミーム?)されそうな雰囲気も感じます。
得てしてガンダム作品の世界とは、もしかしたら実現可能なんじゃないかと騙せるくらいのSF考証があるものですが、とうとうファンタジーにしてしまったのは、やっちまったな感しかありません。
『Newton』を読み込むような人は、並行世界は科学的根拠を以て証明できる!と息巻くんだろうけど(笑)。
アニメとしてのガンダム作品には宇宙世紀系、オルタナティブ系、ビルド系といったジャンルに分けられますが、本作を以てそのどれでもない新しいジャンル、いわば、たられば系が生まれました。もし地球連邦ではなくジオンが戦争に勝っていたら、というね。
ただ、これが定着してしまうとゼロから生まれる作品が減り、パロディ作品ばかりが氾濫します。つまり『ガンダムエース』に載ってる作品が全てアニメ化されるようなもので、想像しただけでも軽い地獄じゃない(笑)?
本作の続編はあり得ないと思いますが、たられば系作品は続々と公開される未来がうっすら見える…。
まぁ、80年代をアニメオタクとして生きてきた人間が喜々として作った作品だなと感じました。良いものを作ろうという気概以上に、まずは自分たちが楽しめればいーや的な。
ハッキリ言ってしまうと、公私混同の度が過ぎているんですよ。
ガンダム作品の中の出来事は後年になっても語り継がれたり改竄されたりして、若い人もガンダム博士(笑)に近付こうとしているけど、元祖ガンダムを取り巻く作品外の状況までは知り得ないし、勉強の範疇を超えているんでしょう。
20代くらいで最終回のタイトルを見た直後にひっくり返ったとしたら、かなりの勤勉家ですよ。元ネタが何かは特に言及しないけど。
そんな最終回のタイトル、『だから僕は…』と言われても、その”僕”とは誰なんでしょう?
まぁ劇中で”僕”という一人称を使うキャラは何人もいるし(ほぼ特定されるけど)、それが誰による言葉なのかという想像は視聴者に委ねる……という言い訳もできるだろうけど、もっと志の低いミーハー根性の方が先だよね。
オタクが自分の博識ぶりをひけらかすようでみっともないんですよ。
このところ耳障りに感じる、アニメアニメした芝居をする声優が少なかったのは非常に良かったです。演技指導をした人の功労ですね。
余談ながら、今作でのシャアの声質や芝居を鑑みると、松風雅也さんでもハマるように思えます。
プラモを買う気が失せ、ロボットにも興味がなくなった表れでもあるんだけど、近作の主役ガンダムのデザインって新味はあるものの、ひと目見てカッコ良いと思えるものがなくなりました。
ガンダム“みたいな”デザインとして見れば秀逸なものは多いんですがね。本作のジークアクスも、そう来るか~と思わせるくらいのトガッたデザインですが、これが新作の主役ガンダムでーすと言われるとチト腑に落ちないというか。
デザインがウ~ンでも、本編での活躍を見ててカッコ良いと思えるようになったものも少なくありませんが、このところのガンダム作品は戦闘がスピーディーすぎて何が起きてるのか見えないんですよ。「今、一瞬だけ映ったのはどこの部分?」みたいな(笑)。
テレビゲームで、1フレーム=1/60秒の世界でしのぎを削ってるような若い人の動体視力なら、ちゃんと見えるのかな?