『ストリートファイター』を観ました。
東南アジアの軍事国家シャドルーの独裁者バイソンは数十人のボランティアを人質に取り、200億ドルの身代金を要求する。
しかし、バイソンの脅しに屈しようとしないのは連合軍を率いるガイル大佐だけではない。父親を殺されたチュンリー、シャドルーに武器を横流ししていながらもバイソンに裏切られたサガットや、逮捕を免れようとする詐欺師のリュウとケン……それぞれの思惑が一つになった時、因縁浅からぬバイソンへの逆襲が始まる!といったお話。
映画全般からすればB級と呼ばれそうな作品ですが、けっこう好きなんですよ。
若い人には分かんないだろうけど、『木曜洋画劇場』感に溢れすぎた作風というか(笑)。
過剰なバイオレンスもなく、かつムーディーなロマンスや濡れ場も一切ない(これが好印象!)、誰もが気楽に楽しめるエンターテインメントとしては、もっと評価が高くてもいい作品だと思います。
漫画やらアニメやらゲームやら、絵を原作とする作品の実写化には、バカの一つ覚えor右に倣えの精神で“世界観が壊れる”とか何とか言う連中が多いですが、さすがジャパニメーション(笑)の国だからなんですかね、2次元コンプレックスをこじらせたお客も少なくありません。
原作が排斥されるわけでもなし、原作と異なる解釈で描かれる作品があってもいいと思うんだけどね。話題の一つも増やせる→見聞が広まるという意味で、俺ッチは実写化作品はウェルカム派です。
「『ストリートファイターⅡ』の主役はリュウなんだから、リュウを主人公にしなきゃイカンだろう!」と思っているのは、せいぜい『ストⅡ』(の世界観)にハマッた日本人だと思います。
これは『ストⅡ』の魅力の一つですが、任意のキャラを選ぶのって、お話の主人公を決めるようなものなんじゃないかと。
それ故、アメリカが作る映画ならアメリカ人を主役にしたいのもあるだろうけど、登場するキャラを総登場させた上で一本の物語にしようとしたのが本作なんでしょう。
映画として、あれだけ個性に被りのないキャラたちを一つの作品に総登場させただけでも地味に驚きだし、各キャラ一つ二つくらいは原作の設定を拾っているんだから、相当に頭を抱える作業だったと思いますよ。
バイソンを演じたラウル・ジュリアさんは本作が遺作となってしまいました。劇中のように再起動はできなかったようです…。
世間では「こんな作品が遺作になるなんて…」と冷やかされる事も多いようですが、映画の悪役としてはなかなかの存在感があったと思います。
中でも、チュンリーが父親を殺された状況を怒りの感情を隠さずに話しても「覚えてない」とサラッとひと言。
挙げ句に、
「お前にとっては人生最大の日だったかもしれない。だが、私にとってはただの火曜日だ」
と言い放つ憎々しさ! ゾッとすると同時に、本作屈指の名セリフだと思います。
…ただ、水中の機雷を操作するのにレバー&ボタン(もちろん6つ!)を必死でガチャガチャやる姿は、さすがにちょっとね…(笑)。
これと逆に、ややガッカリだったのはジャン=クロード・ヴァン・ダムさん。
ヴァン・ダムさんと言えば蹴り技のキレが良かったはずなんですが、それを見せる機会があまりに少ないのが勿体ない。必殺のサマーソルトキックも吹き替えっぽかったし…。
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ちなみに、今回観たのは、さらに気軽に楽しめる吹き替え版。ますます『木曜洋画劇場』っぽくなりますね(笑)。
…ただね~、
ガイル(ジャン=クロード・ヴァン・ダム):大塚芳忠
バイソン(ラウル・ジュリア):玄田哲章
という、ありきたりすぎるキャスティングが面白くないです。
例えばamazonの洋画ソフトにたむろしている吹き替えマニア連中は、それがサイコーだと思っているんでしょうけど、よくもまぁ同じ声ばかりで飽きないなと。
アーノルド・シュワルツェネッガーさんなら玄田哲章さん、ジャッキー・チェンなら石丸博也さんと、その俳優の吹き替えを担当する声優を固定式にするのはアリだけど、芳忠さんや玄田さんらを器用貧乏にさせてしまうような起用は安易すぎると感じます。
なので、個人的には、顔出し俳優の吹き替えもアリだと思っています。
吹き替えは余興みたいなもので、気に入らなければ、もしくは本気で楽しみたい時は字幕版で観るし。