昔々の商人が商売をするにあたり、“三方よし”という言葉を考えたそうで、これがビジネス用語として現在でも根付いているようです。
ここで言う三方とは、
売り手よし
買い手よし
世間よし
の事。
儲かったり、自分の仕事(もしくは会社や店)に満足できれば“売り手よし”。
良いものを買ったと、お客に満足してもらえれば“買い手よし”。
売り手と買い手が共に喜べた上で社会に貢献できれば“世間よし”とし、それこそが良い商売であるとする理念です。
三番目に関してなんですが、“世間よし”とは、貢献するだけでなく、社会的な責任を背負い込む事で、商人が社会に存在できるための義務としているように受け取れます。
“世間”という言葉を使うのなら……という事で、個人的な解釈を。
買い手が満足できればまた利用したいと思うし、いずれはリピーターという関係になります。
話は逸れるけど、人は誰かに何かを教える事で、他人より優位に立っていると思い込む癖があります。
例えば、自分が良いと思えるお店を見つけたとして、他人にもそのお店の良さを伝えたくなりませんか? その証というほどでもないけど、そんな連中がたむろするのが、我こそがと必死でメシ屋の紹介をするようなああいうサイトです(笑)。
そういう口コミによって、売り手と買い手との関係に関する評判は聞こえてくるし、広まります。
つまり、“世間よし”というのは、風評が良い事でもあるんじゃないでしょうか?
評判が良いお店には人が集まるし、それって世の中の役に立っているのと同義ですよね。社会に貢献するための一過程であるとも思います。
…とは言え、結局は自分を第一に考えた標語(?)ですよね。
“三方よし”とは、あくまで自分が属する所が標榜するものだし、まず自分を大優先するからこそ、自分=売り手を一番目に持ってきているんです。
先義後利を重んじているのであれば、“買い手よし”を一番目に持ってくると思うんだ。
まぁ、まずは売り手がいなければ、経済は回りませんからね…。
――と、珍しく年相応のネタでしたが(笑)、自分も含めた、それを取り巻く環境の迷走っぷりに辟易としているので、ふと思った事を綴ってみました。
まぁ、そんな綺麗事だけで生きていけないのは、とうに分かってはいるんだけど…。