桂正和さんは『ウイングマン』の頃から好きで、単行本は全て買っています。
それほどまでに好きな漫画家です。
…いや、好きな漫画家でした、と言った方が正確かな。
つーのも、『ZETMAN』のダラダラっぷりに、そろそろ嫌気が差しているんですよ。
何が嫌かって、死んだと思った人間が実は生きてたというパターン、何回使うんだよと。
「おい、紫龍が死んじゃったよ!」
「…また?」
かつて、そんな会話をした人もいると思いますが、これが通用した時代から何十年も経っているのに、まだこんな作劇をしているのかと思うと、やれやれって感じ。
これは本作のみならず、近年の劇全般において言える事なんだけど、“死”を扱えば客の心を掴めると思い込んでいる作品が多いんだよね。
そもそも“死”とは、取り返しの付かない出来事。
だからこそ、“死”が描かれる事で達成感を味わったり、ショックを受けたり、悲しんだり、ドキッとさせられたりと、観ている人の感情が揺さぶられる。テキトーに鑑賞していても、“死”の要素が出てくれば、それまでよりも見入ってしまう事、多くないですか?
そんな“死”を一つの命が何回も繰り返せば、「…って、実は死んでないんじゃない?」という猜疑心を持ってしまい、純粋に作品を楽しめなくなるだけでなく、緊張感も薄れてしまう。
つまり、没入度が低くなってしまうんだよね。
最近の本作がダラダラしていると思えるのは、そういう理由なのかもしれない。
――最近は、そんな風に思うようになってきたので、人が死なない作品こそが面白い作品の第一条件だと思います。あくまで個人的にですがね。
お話的にも、そろそろ苦しくなってきている気がします。
先導者の言い分が絶対という時代は化石化し、時間の流れと共に人間は賢くなってきました。
個人個人が、自分自身で物事を考えられるようになったという事でしょうね。
だからこそ、本作のように、唯一無二の正義観が存在しなくなってしまった。
そんなカオス化した現代を描いた作品かもしれないけど、風呂敷を広げすぎて収集がつかなくなる前に、早め終わらせた方ががいいとも思うんですがね。
あとね~、桂作品のシンボルたるお尻(かつドアップ)が出ないなんて、あり得ないでしょ(笑)!
桂さんには『ウイングマン』のような、もう少しライトな変身ヒーロー作品を描いて欲しいんですよねぇ…。