逆境を追い風に!情熱ホルモン創業者の起業ストーリー | 想像と創造を膨らませるビジネスチューインガム

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昨日は、大阪産業創造館で行われた情熱ホルモン 焼肉五苑 の社長である川辺清氏のセミナーを聴きにいってきました。


川辺氏は3歳のときに小児麻痺にかかり左足が不自由になったということで、この日もスタッフの手を借りての登壇でした。しかし、そうしたハンデキャップも川辺氏は持ち前のユーモアで乗り越えてきました。


家庭の境遇も父親がいない状態で、随分父親を憎んだそうですが、母親と一緒に頑張る中で、父親が死んだときに母親に「もう父親を追い抜いて勝ったやろ。勝ったら人を憎んだらあかん」と母親に諭されたそうです。


もともとは靴の商人として、商売をしたそうですが、他にも靴屋はたくさんある中でどうやって靴を売ろうか、とそればかり考えていたそうです。これが35年前の話だそうですが、「片方無料!」というプロモーションや「店じまい!」というのを打ち出したそうで、その後あちこちにできた「店じまい」商法の元祖だと川辺社長は言ってました。


その後、海外で見た屋台村を持ち込んで、やってみたそうです(その後あちことにできた屋台村はそのあと出来たものらしいです)。しかしこれは失敗。なぜかというと屋台村に出店したい!という素人ばかりをテナントとしていれたために、本当においしいものをお客さんに提供できなかった。だから客足が遠のいていったということのようです。


そしてそれではいけないということで、食べ物の失敗は食べ物でということで、車で走っていて当時よく見かけてお客さんがよく入っていた「王将」へ電話をして、社長に話を聴きたいと直談判したそうです。その時、川辺社長は42歳だったそうですが、「王将」の社長も42歳からはじめたという話を聴き、1ヶ月「王将」の店舗でいろんなことを学んだそうです。


料理はできない川辺社長ですが、食で喜んでもらえる店を造りたいということで、カラオケやピザやいろいろ店を体験した後、あるところで、ご馳走になった七輪で焼いた焼肉を食べて、遠い昔、少年時代に食べさせてもらった焼肉の味を思い出し、これを提供しようと決意。「王将」の片隅を借りて営業したそうです。


オープン時は半額などで人が来るものの、3日も経てば人が入らなくなる。そこで、生ビール290年、焼肉も390円にしてやってみようと。すると店は繁盛、その後なんばに出店したときにはまた客足が鈍い。ビールは190円にして出してみようとやってみたところ大盛況。この無謀とも思える値段についてはセミナー終了後、「利益は出ているのか?」という質問が出ていましたが、「商売にはいろいろテクニックがある。どれだけとは言えないけれど、お金が残っていなかったらFCもついてきてくれていない。だからやり方はいろいろあるんです」と答えておられました。



想像と創造を膨らませるビジネスチューインガム-焼肉五苑


商売は足し算、引き算という川辺社長。狂牛病のときは41店舗をばっさり切ったそうです。商売はプラス思考と見切りをつけることが大事という川辺社長。あとは楽しい話をしてお金を借りないようにしていればうまくいきます、と。


今年、来年で100点を出店するという川辺社長。僕も時々新地にある焼肉五苑 を利用することがありますが、とても美味しいですし、ビール190円にはいつもびっくりします。でも結構食べるので、値段的にはそこそこ行きます。そこが商売が回転してるところなんでしょうか。最後は名刺交換をしていただいて、割引券ももらいました。


最後に川辺社長が思う商売が出来る人とは・・・


・声が大きい人

・しゃべりができる人

・約束の日時をきちんと入れることができる人


とのこと。非常に勉強になる話でしたね。