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読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

ちょっと昔の話をします。

1972-1983年の夕方18時、NHKで放送された、SFの名作(筒井康隆や眉村卓のジュブナイル作品が原作)がメインの少年ドラマシリーズという(30分だったかな)ものがありました。

 

あの有名な「時をかける少女」もこれが初ドラマだったはず。

 

そして、その僕が少年の頃、感動した作品には、萩尾望都さんの『11人いる!』と『スター・レッド』があります。


世間一般では、この『11人いる!』の方が圧倒的に評価が高いのですが、

僕は『スター・レッド』の方が好きです。


SFとしてのスケールの大きさ、設定の見事さは、

萩尾望都さんの制作時の年齢の違いもあり、こちらの方が上だと信じております。


でも、本作は続きが気になる余韻が残る終わり方なんですが、

萩尾望都さんが続編を描かれることはないでしょうね。


ところで,話題がここで替わります。

いつもの、小説創作の話です。


取り組んでいる小説現代新人賞向け原稿は、昨日からプラス2枚の、合計6枚に突入しました。

パチパチ、パチ,拍手。


なぜ、たった6枚で、拍手しているかと言うと、

いつもの書けない病が発症していたからです。

「何書いていいか、わからないから、書けない」の声が内心世界でアラートされて、

負けそうになってました。草


ところが、ダメ元で、原稿をWORDで開いてみて、字面を眺めていたら、

スルスルと続きが2枚書けました。

朝、出かける前の忙しい時間の、僅か20分の作業でした。


前記の「わからない」ままなのに、二人の人物の会話を「聴いてみた」だけ、その観察した様子を書き記しただけです。


あっ、と思いました。


これ、山本周五郎と同じ、二人人物描写だな、と気づきました。

前に書いたかどうか、あやふやですが、

僕の叙述スタイルである「書き手ファースト感覚」とは、雰囲気で呼称してたんですが、

それって主人公なり、特定の人物へひたすらに思い入れして書く「一人ファースト感覚」なんじゃないか。


そう,はっきりと認識できたわけです。

今まで、さんざんに「書き手ファースト」の単語は、何年も振り回してきましたが、

たぶん、この認知や、ここまで具体的な言語化は初めてだと思います。



もちろん、周五郎の『さぶ』も英ニの一人語りシーンはあったでしょうが、

そこでも、必ず誰かに向かっての恨みだったりするんですよ。


何度も書きますが、「会話と地の文が相互に誘導する」山本周五郎の読みやすいリーダービリティ溢れる文体は、

対話する相手があってこそなんですよね。

(これ、【対人間・関係ファースト感覚】と名づけようと思います)


もちろん、僕も会話は書いてきましたが、でも、それはストーリー展開優先で、読み手ファースト感覚にはなってなかったと思います。


何より、状況をちゃんと設定してやれば、

そのシーンは、人物たちでちゃんと生成されるので、「何を書いたらいいか、わからなくても書けること」のメリットは、僕には計り知れないです。


これで、少しは、7/31〆までの、小説現代長編新人賞250枚が書けそうな確率が上がりましたね。www