さて、改めて、皆さん、新年、あけまして、おめでとうございます。
昨日のブログは、12/31に前もって書いて、アップしたので、気持ち的には、今日が年始はじめて書く記事です。
12月は、珍しく風邪をひいて体調を崩したり、年末の直前までやる気が出ず、創作活動はフリーズ状態でした。
でも、28日から心を入れ替えて、児童文学作品の落選原稿を、せっせと改稿して、大人向けのエンタメ・ライトノベル的な小説に書き換え作業をしていました。
元原稿270枚は、今まだ途中ですが、297枚になっており、183枚まで改稿できました。
おそらく、310枚ほど、あと作業時間が6-8時間で完了すると見立てています。
元がファンタジー作品なので、ライトノベル化に、そう違和感はありません。
というか、そもそも、この作品を児童文学作品に仕立てて応募していた僕の見識が、大いにミスっている。
間違い・ミスキャスト・ミスジャンルだったんだと思っています。
俳句のコンクールに、同じ五七五だから、と川柳を応募しても入選するはずがないですから。
そんなミス・ジャンルの間違いをしていた気がしてならないです。
いや、その作品だけじゃなくて、自分の書く作品全般の方向性や、感覚、または自分らしさが、
実は児童文学には徹底的に不向きだったんだ、と今は理解しています。
児童文学に求められる、子ども向けの、年齢ごとの様々な配慮や制約、それを僕が頭での知識としてはわかっていても、
描く感覚的にはわかっていなかった。
また、自分の作品世界には根本的に不向きだったんだ、と、’24年度以降は、きちんと理解できています。
ライトノベルの中には、優れた児童文学的な作品もいくつもあっても、それはやはり最初から児童文学にはなり得なかった。
そんな意識では作家は書いていない。
そのことを、審査する児童文学側も混同しているし、根本的にわかっていない、と僕は感じています。
(だから、児童文学は少子化だけが原因でなく、衰退しているし、才能ある作家の多くが大人向けジャンルの作品やライト文芸、ジュブナイル分野へと転身しているのでは?
と、本当のことを書くと、叱られますか?)
ちょうど、詩においても、メタファーを多用するし、象徴詩ベースの現代詩らしい言語修辞派と、
近代詩的な、感情表現が主体の、抒情詩派の二つがあって、ほぼお互いが似て非なるものとして、交わらないのと同じ構図があるな、
と、僕は思っています。
僕は、詩のどちら派も好きですが、自分の作品群を、あえて分類されたとすれば、言語修辞派の詩風に属するものだと理解しています。
もちろん、近代詩的な、抒情詩もたまに書きますし、書けなくもないですが、自然に描くと、暗号っぽくなっちゃいます。笑
近代詩的な自己表現主体の、詩の教室で、僕の作品を提出すると、
「これは現代詩だから」とか「難解でよくわからない」とか言われる場合がありますからね。
もし、その教室の先生がバリバリの抒情詩派だと悲惨になりますね。笑
話を、小説に戻します。
今回の書き直し作品は、1/10〆切の集英社ノベル大賞へ出す予定です。
年末に、改稿しようと決意し、色々と対策を立てた時は、作業日数の少なさと、他の行事のあることで、
(1/8・9の仕事があることや、オンライン講座を一つ受講すること)、到底無理だと思っての船出でした。
が、現在、ほぼ3分の2ぐらい、60%ぐらいできた作業の感覚だと、とりあえずは応募することだけはできそうに思っています。
元原稿は、語り手の年齢が小学五年生だったのを、今は高校二年生に書き換えることが主眼です。
やってみると、元が無理だったんだ、と実感できます。
すごく、のびのびと書きやすいです。笑
できれば、その設定を変更した上で、新機軸や読みどころをもう一つ何かしら加えてみたいんですね。
また、なんせ、地方コンクールではない、大手の中央の(集英社という)エンタメ系新人賞には、まだ応募し慣れていないので、
まだ出すことに意義がある、と感じています。
結局、現状の僕の力不足や、よく言っている【展開の呪縛】からの離脱、また、シーン書きの密度を高める人物群渦の感覚など、
書いて身につけるしかない、描く中で訂正するしかない感覚なんですよね。
1/10を過ぎても、3月までに、できれば、エンタメ・純文学系を問わず、150-300枚の中・長編を2作品以上、改稿か、書き続けを完了させて、
応募させたい野望を、僕は抱いております。
(無理でも、最低、1作は仕上げたいです)
去年の、1-3月の応募作品が、ゼロだった実績だけは払拭できそうなので、やれやれ、です。
