今日は朝から仕事。日常を〈鳥の眼視点・ナラトロジー構造化〉しはじめる | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

金曜日は、朝から仕事で、本来なら、午前で仕事が終わるはず。

ところが、昨日、例の如く、新規な仕事先では、いきなり、わからない仕事が「いついつまでにやってほしい」と期限付きで降ってくる。

しかも、僕は2ヶ所受け持ちだから、それってすぐやれない場合も多い、ってことになる。

 

わかっているのなら、早めに言うべきでは?

普通の社会人ならね。

相変わらずの、杓子定規くんは、こちらの都合など一切、考慮しない。

せめて、早めに予告してくれればいいのに、と思う。

 

こちらのスケジュールを、いろいろと調整する羽目になる。

いや、無償働きに近い強要になる、と言ったほうがいいか。

 

あと4ヶ月ちょっとの辛抱だ、とひたすら自分へ言い聞かせる。

ほんと、やれやれだ。

 

さて、小説創作の話なんですが、深く考えて、あっと気づいたことがあります。

 

人物が置かれた背景や状況下で、どんな出来事に対してどう動くかを考えることこそがストーリー展開なのじゃないか、ってこと。

 

状況と出来事って、似ていて重なる時もあるけど、長編の場合は、深刻な状況が背景化している時もある気がする。

状況と出来事の両者を混同していたのが、今までの僕だったんだ、とも思う。

 

深刻な状況ってのは、背景や来歴とリンクしている場合が多いから、そう簡単に解決できるもんじゃない。

それに対して、出来事は終わりがあり、章ごとに、シーンとして描き切れるけど、

状況が大きく動くからラストで解決か、争う手段を見つけて一時解決するのかな。

 

たまたま、京都芸術大学の文芸同人サークル(在校生と卒業生が所属できる)grafのメンバーの、

9月にやる合評会での提出作品を読んでいると、ダメな時の僕と同じで、状況と出来事の片方を描いたり、混同している気がしました。

 

あと、日常の環境も「状況・出来事」と細分化できる〈鳥の眼視点・ナラトロジー構造化〉が身についてきた気がする。

 

例えば、今の僕の、新規職場は悲惨な職場環境という状況下にいる。

そこで、いろいろな出来事が、日々、突発的に引き起こされ、こちらがその対応として強制的に右往左往させられる、みたいな。草

 

この、期限終わり状況は、僕個人にはどうにもならないんだよね。

もちろん、非常勤だから、あまりにも酷いパワハラ的な言動を強制させられるなら、「辞めます!」の選択肢は、あり、だ。

(だいぶと、近い気もしますがね)

でも、そうすると、罪のないクライアントに迷惑がかかるから、避けたいだけ。

 

ほんと、職業倫理の搾取だよね。