「角野栄子あたらしい童話大賞」の応募原稿(20枚)が、1次稿がなんとか完成できた。
これが、この7-8月2カ月の、(この間の戯曲作品を除く)この夏の初めての完成作品になる。
基本、ひと月に1作品は、定例の「現代詩手帖」や「ユリイカ」への投稿詩を除き、何かを投稿することを、
ずっと、ここ6年ほど、自分へ課してきました。
ごくたまに、それができないことがあって、この’26年の7月がそうでした。
でも、たぶん、2ヶ月連続で、応募できないことって、ほとんどないはずでした。
近年の記録を見返すと、
去年の’25年度は、基本三つぐらい応募していて、3月(年度ごとだから、’26年のこと)だけでした。
’24年度が、1・2月(これも年度ごとだから、’25年のこと)だけで、これは二ヶ月連続でした。
’23年度が、7月だけ。
(でも、8月には5つも応募している。これ、9月に応募した長編児童文学作品を、通信講座で書く義務があったからと原因がはっきりある)
’22年度が、7月と12月。
やはり、ひと月に1篇ぐらいは作品を送らないと、「もう書けないかも」の恐怖感・絶望感に負けそうになるんですね。笑
だから、今回の、この作品も決して入賞狙うぞ、と言う会心の出来ではありません。
某児童文学系の賞へ4年前に出して、1次選考も通らず、落選したダメ作品でした。
その10枚の、原型を、コンセプトや、テーマなど趣旨としてはほぼ保持したままの、ブラッシュアップしたに過ぎない作品です。
でも、その元の10枚での完全完成品として、僕自身はすごく気にっていたし、僕の実力的にはベストを尽くしに尽くした作品で、
すごく愛着がありました。
ですので、今年までの、これまで、何度か、さらに書き足すことを考えて挑戦してみたんですが、
どう足掻いても、その完成度以上に、何かをこれ以上は一切何も書き加えられないと、4年間ずっと感じていた作品なんですよ。
なのに、今回、実質、たった二日で、この作品が、こうもあっさりと改稿できたことに、すごく驚いています。
その意味では、半年前までの自分とは、今、全くの別次元に到達していることを、強く実感できています。
また、確かに10枚をプラスしているし、単なるテニヲハの直しではなく、新アイデアを盛り込んでの書き直しなんですが、
その追加分は新しいことをつけ加えるというより、人物の周りの環境を深化させ、延長線上のアイデアです。
具体的には、戯曲で学んだ、人物間対峙と言う構造的には、今回の場合は、
「主人公の女の子vs不安・窓・風・その象徴物」の図式で、対峙相手は人間ではありません。
また、「大人と子どもの対峙」「正義と悪の相対化」の元々あったサブテーマを、よりはっきりとさせるよう描き直しました。
その点では、このサブ対峙自体、僕には全く目新ししさのカケラもない陳腐なモノでした。
でも、子どもの想像力の可愛さを書くことは、元作よりはしっかりと表現できたと思う。
また別件として、書き上げることで、結果として気づいたことがあります。
自分の中に、何か(表層的な)珍奇なアイデアを考えなくてはいけないという縛りや、
【新奇さ=オリジナリティ】という強迫観念があることを改めて感じました。
「そうじゃないだろう」と強く自分自身へ言いたくなりましたが、
これ、無意識領域の恐れなので、コントロールできないんですよね。
改めて、某先生のお言葉。
「現実から、その嘘がどれだけ離れているかの距離感を感じて書くこと」での箴言の重みを、真の意味で実感できたことでした。
で、1作、応募できる見通しが立ったので、少しプレッシャーから解放されました。
(わかりにくくて、申し訳なかったんですが、)
あと、今回の完成した、この「角野栄子あたらしい童話大賞」の応募原稿(20枚)なんですが、
実は8/20(木)まで、ちょっとずつ書いて7-10枚は書けていた「ちゅうでん児童文学賞」とは別物なのは当たり前ですが、
それ以降の8/21(金)に考え始めて、新規に書き出して10枚ほど書いた、同じ「角野栄子あたらしい童話大賞」の応募原稿とも別物です。
全く違うモノを、この1日半で書き終えたものなんです。
ともあれ、戯曲的な人物間対峙の意識で書き終えた、第1作と、本応募作を認定したいと思います。
でも、主人公は小学2年生に設定したモノですが、全然、幼年童話ではなく、オリジナリティあふれるアイデアの作品でもないので、
コンセプト違いで、1次選考も無理だと思います。
でも、新生の観点での、記念すべき第1作の完成は、珍しく自分で自分を褒めてあげたくなりました。