どうでもいいことなのでしょうが、
最近、このAmebaブログのアクセス数のカウントって、おかしくなっていませんか?
前日に、リアルタイムで表示されているアクセス数が、次の日に集計されると、ガクンと20-30%減っています。
まあ、別にそれで収益を図っている訳ではないので、構わないんですが、
算出方法が変わったりしているんでしょつか?
謎です。
そもそも、去年と比べて、このブログへのアクセス数も年々、減っているのは、他のSNSへ移動しているんだろう、と推測していました。
僕も、noteとの併用して活用しておりますから。
毎日、書いているので、
それはそれで、僕個人には大事なコンテンツなので、保存を考えてみるべきなのでしょうか。
ところで、自分が講師の甲南山手カルチャーセンターの文章・文芸教室の体験会が今日、行われる予定だったのが、不成立になったので、
どうして今日、1日を暮らすか、考え中です。
昨日、書いたように、小説現代新人賞へ向けて、とにかく書き出すのが、ベストな選択です。
内容や文体の縛りを捨てて、それこそ山本周五郎ばりに、会話と地の文ワープで書く文体、
つまり、文体に凝らない、江戸の町に吹く朝風のような、片意地はらないニュートラルな文体、それでいいのなら描けるかも、
と、昨日、ここに書いてしまってますしね。
(なんだか、あまりの奇跡に現実感がなく、はるか過去のことだと感じますが、昨日のことなんですね。
びっくりです)
その、現実を模した、日常を描くのなら、それこそ、このnoteの記事や、毎日書いている、ブログと同じ書き方になるから、
リアルタイムで臨場感たっぷりに、いくらでも書けそうに感じてしまいますから。
(やはり、シンクロニシティ的には、周五郎を勉強した伏線をここで回収したことになるでしょうし)
小説現代の指定フォーマットだと、原稿用紙で249枚以上でもなる大作になる。
けど、ライトな文体で、でも周五郎ばりに描いて、それが話すように書くことなら、ほんと経験上、1ヶ月と10日で書けない枚数ではないな、と感じます。
さて、明日は自分が所属している、京都芸術大学・文芸サークルgrafの読書会なんですよ。
課題図書は、大江健三郎『万延元年のフットボール』。
濃厚な感覚文体は、いかにも大江健三郎で、山本周五郎とは真逆の文体。
リーダービリティなど端から無視している。www
対して、毎日文化センターの次の7月指定図書が山本周五郎『柳橋物語』だったりします。
冒頭の、自分の講座が不成立の根本原因を糺すには、新人賞を獲るしかない。
その為には、逃げずにダメ作品でもコツコツと書き継ぐしか方法はない。
どうしましょう。
うーん、です。