あれ、Amebaブログのアクセス数の数え方が最近、おかしくないですか? | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

どうでもいいことなのでしょうが、

最近、このAmebaブログのアクセス数のカウントって、おかしくなっていませんか?

 

前日に、リアルタイムで表示されているアクセス数が、次の日に集計されると、ガクンと20-30%減っています。

まあ、別にそれで収益を図っている訳ではないので、構わないんですが、

算出方法が変わったりしているんでしょつか?

 

謎です。

 

そもそも、去年と比べて、このブログへのアクセス数も年々、減っているのは、他のSNSへ移動しているんだろう、と推測していました。

僕も、noteとの併用して活用しておりますから。

 

毎日、書いているので、

それはそれで、僕個人には大事なコンテンツなので、保存を考えてみるべきなのでしょうか。

 

ところで、自分が講師の甲南山手カルチャーセンターの文章・文芸教室の体験会が今日、行われる予定だったのが、不成立になったので、

どうして今日、1日を暮らすか、考え中です。

 

昨日、書いたように、小説現代新人賞へ向けて、とにかく書き出すのが、ベストな選択です。

 

内容や文体の縛りを捨てて、それこそ山本周五郎ばりに、会話と地の文ワープで書く文体、

つまり、文体に凝らない、江戸の町に吹く朝風のような、片意地はらないニュートラルな文体、それでいいのなら描けるかも、

と、昨日、ここに書いてしまってますしね。

(なんだか、あまりの奇跡に現実感がなく、はるか過去のことだと感じますが、昨日のことなんですね。

 びっくりです)

 

その、現実を模した、日常を描くのなら、それこそ、このnoteの記事や、毎日書いている、ブログと同じ書き方になるから、

リアルタイムで臨場感たっぷりに、いくらでも書けそうに感じてしまいますから。

(やはり、シンクロニシティ的には、周五郎を勉強した伏線をここで回収したことになるでしょうし)

 

小説現代の指定フォーマットだと、原稿用紙で249枚以上でもなる大作になる。

けど、ライトな文体で、でも周五郎ばりに描いて、それが話すように書くことなら、ほんと経験上、1ヶ月と10日で書けない枚数ではないな、と感じます。

 

さて、明日は自分が所属している、京都芸術大学・文芸サークルgrafの読書会なんですよ。

課題図書は、大江健三郎『万延元年のフットボール』。

濃厚な感覚文体は、いかにも大江健三郎で、山本周五郎とは真逆の文体。

リーダービリティなど端から無視している。www

 

対して、毎日文化センターの次の7月指定図書が山本周五郎『柳橋物語』だったりします。

 

冒頭の、自分の講座が不成立の根本原因を糺すには、新人賞を獲るしかない。

その為には、逃げずにダメ作品でもコツコツと書き継ぐしか方法はない。

どうしましょう。

 

うーん、です。