*「SF短歌コンテスト」へのお誘い
皆さん、早川書房の主催する「SF短歌コンテスト」へのお誘いです。
今回、1回限りのコンテストが開かれます。
詳細は、以下のnoteをご覧ください。
選者が、僕の好きな歌人である木下龍也さん、佐藤弓生さんがおられるなので、僕は絶対に出します。笑
また、僕は往年のSFファンなので、最近でこそ、SFマガジンは立ち読みばかりで、数年に1回ぐらいしか書いませんが、
賞品の、SFマガジン1年分も魅力的です。
〆切は6/15。
WEB応募も可能です。
「宇宙や人類を題材にしたセンス・オブ・ワンダーのある短歌」を、とのことです。
また、同じnoteで、歌人の松村由利子さん(好きな歌人です)も、ご紹介されております。
*中島敦「李陵」の読了と、毎日文化センター講座「名作文学を読む」のこと
今度の5/19日の火曜日にある、毎日文化センター「名作文学を読む」(講師:奥憲介先生)の課題図書である、
中島敦「李陵」をやっと読了した。
「李陵」を読み終わるのは、たぶんこれで4回目以上にはなるはずだけれど、前に読んだのは30年以上前かもしれない。
また、その頃は自分が小説を描くなんて、想定外の想定外だったし、分析方法も知らなかったから、
ただ愉しく読んだだけだった。
改めて、分析読みしながら目を通すと、1箇所だけ「日本の君臣道とは根底から異なったかの国のこととて」と日本へ言及しているのを発見。
前にも見た記憶はあるけど、思わず、苦笑する。
いや、ここ要らんやろうと思う。
だって、それ、語り手というより中島敦の分身が登場しているやんか。
さて、この小説は、基本、人物たちを見下ろし時系列を超越した〈語り手意識〉の叙述なのだが、
それは僕的には遠くから語る〈鳥の眼〉感覚だと思う。
歴史・時代小説なら当たり前かもしれないが、今の現代作家たちが書くそれらよりも、主人公に寄り添うパートが少ないと感じる。
また、語り手作者の述懐なのか、李陵や司馬遷の感想なのか判然としない箇所も多く、その混在が逆に魅力的な文体になっている気がする。
あと、李陵パートと司馬遷パートの併用は果たして必要だったのか、両者が直接触れ合う部分がほとんどないだけに疑問だ。
分けても良かったか、やるなら、無理にでも両者を、たとえば、幻想ででも邂逅させるべきではないか。
また、角川文庫の巻末の年譜で、「山月記」と「李陵」の両作が亡くなる昭和17年の12/4と同年なのに気づき、少し驚く。
前者が2月、後者が10月だった。
(「名人伝」が12月で絶筆か)
僕はてっきり、「山月記」の〈鳥の眼〉語りと、主人公パートの見事な混淆ぶりに、「山月記」の方があとだと思っていた。
改めて、「山月記」の語りの魅力を再認識する。
僕も小説執筆の際、大いに真似たいものだ。
(いや、絶対無理だけど、草www)
この毎日文化センター講座は、月1回の第3火曜日だけです。
普段なら読まない名作を読み返す、いい機会になっています。
でも、僕を含めて、受講生が4人なんです。
これ以上、減ると講座の存続が危ういので、どなたかご参加してくださいませんか。
18-19時半です。




