てんやわんやで、変な夢 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

今朝は変な夢で、目が覚めました。

 

小学生向けの小説教室のはずなのに、なぜか高校生がいて、その男の子に、絵の見方を通して描き方を、比喩で教えていた。

 

「この絵の画面にたくさんの赤があってリズムになってる。それを見た人が楽しめる演出があるよ。

 君の好きなバトルゲームをモチーフにした作品もこの花の代わりに、モノを散りばめるといいよ」

 

その子はとても不器用な子。

嘗ての僕だ。

「俯瞰・抽象化」出来たら、どんな表現媒体でも同じ演出や転用ができ、自由自在だ、

と、夢の中の講師役の僕は思っている気がした。

 

そうか。小学生時代の『自由自在の算数』問題やトレーニング・ペーパーを前にした、あの困惑は目の前しか見えないからだったのか。

見方がわからないけど、でいない何かを感じていた気がする。

 

こうやって教えて貰ってたら、結果は違ったのに。笑

 

あっ、そうか。

これは、あの25年前の京都造形大学(現:京都芸術大学)の通信洋画コースの経験とも通じるな。

 

自由制作課題に入って、白いキャンバスを前に脂汗しか出ない僕は、演出も抽象も見立てもできない、無知な小学生と同じ存在だったのか。

 

きっと、昨日、一日中、お絵描きソフト「CLIP STUDIO PAINT PRO」で自分の教室向けの広告イラストを描いて、ずっと悩んでの試行錯誤。

そこで、描きながら、自分の絵の描き方も、自分ファーストになってモチーフを並べるだけだったことに気づいたから、

その影響の夢だな。

演出してないことへの警告だね。

 

それ、ブラス、体育館で筋トレしていたら、カルチャーの担当の人から電話貰ったからだ。

小学生の読書感想文教室の進め方を問われて、さまざまなアイデアが浮かんだから、それとの複合技としての夢な気がする。

 

恐ろしく捻くれたボールでの返球だけどね。草

 

 

 

 

 

WACOM用の入力ペンを見つけて、描き出したけど難しい。

かといって、マウスで描いた線は揺れ揺れだから、使い物にならない。

困ったものだ。

 

でも、この描いているイラスト下絵にも、最後の仕上げは「演出」入れないと行けない。

 

きっと文章を書けない、大昔の僕と同じ、頭の硬い子らへ、発想の魔法で、カボチャを馬車に替えるためのものだからね。