今朝は変な夢で、目が覚めました。
小学生向けの小説教室のはずなのに、なぜか高校生がいて、その男の子に、絵の見方を通して描き方を、比喩で教えていた。
「この絵の画面にたくさんの赤があってリズムになってる。それを見た人が楽しめる演出があるよ。
君の好きなバトルゲームをモチーフにした作品もこの花の代わりに、モノを散りばめるといいよ」
その子はとても不器用な子。
嘗ての僕だ。
「俯瞰・抽象化」出来たら、どんな表現媒体でも同じ演出や転用ができ、自由自在だ、
と、夢の中の講師役の僕は思っている気がした。
そうか。小学生時代の『自由自在の算数』問題やトレーニング・ペーパーを前にした、あの困惑は目の前しか見えないからだったのか。
見方がわからないけど、でいない何かを感じていた気がする。
こうやって教えて貰ってたら、結果は違ったのに。笑
あっ、そうか。
これは、あの25年前の京都造形大学(現:京都芸術大学)の通信洋画コースの経験とも通じるな。
自由制作課題に入って、白いキャンバスを前に脂汗しか出ない僕は、演出も抽象も見立てもできない、無知な小学生と同じ存在だったのか。
きっと、昨日、一日中、お絵描きソフト「CLIP STUDIO PAINT PRO」で自分の教室向けの広告イラストを描いて、ずっと悩んでの試行錯誤。
そこで、描きながら、自分の絵の描き方も、自分ファーストになってモチーフを並べるだけだったことに気づいたから、
その影響の夢だな。
演出してないことへの警告だね。
それ、ブラス、体育館で筋トレしていたら、カルチャーの担当の人から電話貰ったからだ。
小学生の読書感想文教室の進め方を問われて、さまざまなアイデアが浮かんだから、それとの複合技としての夢な気がする。
恐ろしく捻くれたボールでの返球だけどね。草
WACOM用の入力ペンを見つけて、描き出したけど難しい。
かといって、マウスで描いた線は揺れ揺れだから、使い物にならない。
困ったものだ。
でも、この描いているイラスト下絵にも、最後の仕上げは「演出」入れないと行けない。
きっと文章を書けない、大昔の僕と同じ、頭の硬い子らへ、発想の魔法で、カボチャを馬車に替えるためのものだからね。

