三浦しをんさんの小説の書き方本、『マナーはいらない』を読み進めています。
結果、どんどん深まる長編小説への書き方アプローチの考え方があります。
考えながら、自分の中の小説感覚と比較しながらなので、
なかなか読みおわりません。
さらに、前半を読み流しで、中盤から解析読みしているので、
まだ、40%ほど、読み残しがあります。
どこかよかったかは、昨日のかのブログで書きましたので、そこをお読みください。
その、三浦しをん式の、【出来事による人物群渦の変化と葛藤の展開】と、(僕が勝手に名付けたもの)が、わかったのなら、
それに基づく作品作りをしてみよう、ともちろん考えております。
偶然にも、この年始に完成させたエンタメ系小説400枚『ぼく、神さまになったよ』では、副主人公のヒロインの箇所については、
それと同じ【出来事による変化】をやっておりました。
(正解の青い鳥を掴んでいるのに、素人の浅はかさ、すぐそれを捨てて、別のものを、探していた、という訳です。笑)
きっと、僭越ながら、三浦しをんさんと、僕の小説創作感覚には、似ているところが多いのでしょうね。
また、この同じ【出来事葛藤による展開変化】の図式は、今、注目している中島京子の感覚にも見え隠れする気がしています。
すると、いよいよシンクロニシティな出会いだったんだと感じます。
ちょっと違う角度から、長編小説の書き方について述べると、
長編小説の書き方は、結局は、分からなくて当たり前だったんだな、と思います。
フロップの解く類型抽象の芯を除けば、非固定式な書き方を、三浦さんも述べておられるので。
いや、固定というよりも、むしろ、融通無碍な妖怪〈鵺〉のように、
長編小説は、書く相手に合わせて、都度、姿を変える幼獣だったんだね。
それを必死で固定化しようと絶望的に無駄な不可能ごとを、ずっと18年も僕はやっていたんだ。
姿を変える生き物を見つけることは不可能です。そんなミッション・イン・ボシブルな狩猟をしようと、
毎日、呻吟しながら、野を駆けて来たんだ。


