とうとう12月で、今年もあと1ヶ月か。
1月から考えると、すごく長い1年で、いろいろなことがあった気がする。
実は、このブログ以外に、毎朝、起きがけに、メモアプリに「モーニングページ」と名付けた、簡単な短い日記を書いています。
その通し番号が、同じ’25年なのに「7」で2つも前なことに、さっき気づいて、ちょっとビックリ。
思い出せば、1-3月はマンガ原作を書こうと思って、それだけ実行できたんですが、
肝心の純文学系の長編小説が途中で挫折して書ききれませんでした。
その途中作は、いつか再開したいと思いつつ、今も放置です。
マンガ原作も楽しかったので、もしかして、自分は純文学系小説に向いていないんじゃないかと思って、
じゃあ、本格的に取り組んだことがなかったエンタメ小説というものに挑戦してみるか、と考えだしたりしてたんですね。
その後、5月に純文学系の永井荷風新人賞84枚を書きながら、やはり四苦八苦して、
じゃあ、というので、エンタメ系を構想して、書き始めて
途中、集英社オレンジ文庫の短編小説新人賞30枚を寄り道して書き上げつつ、なんとか小説野性時代新人賞285枚を8月に完成できたんですね。
やっぱり、エンタメ系の方が書けるよ、純文学よりは、と思った矢先に、
京都芸術大学の芸術学舎の、奥憲介先生の「はじめて読む 大江健三郎」を8月下旬に受講して、「あっ!」と純文学を書く感覚が発見できたんですね。
今の、エンタメ系も、純文学系も、なんとか書く力や方向性がわかっていたな、という立場からは、
この1-3月のわかっていなかった自分が、まるで信じられない、です。
自分じゃないみたいに感じます。
一度、わかると不可逆的に元へは戻れませんから。
もちろん、相変わらず、今の太宰治賞向けの純文学系小説を書くのに苦労しています。
書くのに七転八倒なんだけど、根本的に小説が分かっていない焦燥感からは確実に解放されている、と思います。
たぶん、その発見ができた背景には、間接的に他の研究講座を受けたことも大きくアシストしてくれていると思います。
早稲田大学EXTでの、疋田雅昭教授の、あの様々な文学理論を踏まえたことや、佛教大の日高教授の、今も受講中の村上春樹の講座で授業も含めて、放送大学のスクーリングとかもね。
今の研究アプローチは間違いなく助かっている。
やはり、それらは普通に受講しているけど、実は少しずつがシンクロニシティな手助けになっているんだよね。
学び続けている限り、僕は独りじゃない。
自分が多くの手助けを得て、立っている存在なんだ、と感じます。
自惚れたり、調子に乗ってはいけない。
また、それを恩返しするためにも、作品を完成し続けなければならない、いつか自分の講座を持たないといけない。
真にパブリックな責任を持ちつつ、始めなければいけない、と思っています。
こうして宣言しないと、苦しさから逃げてしまいそうですから。
頑張ります。
