いろいろと考えて、分かってきたこと | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

 

今、取り組んでいる太宰治賞を、どう書こうか、悩んでいる。

 

この土日受けた、放送大学の面接授業「多和田葉子の文学」も踏まえて、

深くいろいろと考えてみた。

image

 

つまり、この8月下旬から、様々な大学の文学系授業を受けた影響を、

出来るだけ、反映させた小説を、自分は書いてみたいと思っていることに気づく。

 

つまり、それって、

「佛教大学OLCの村上春樹+京都芸術大学芸術学舎の大江健三郎+放送大学の多和田葉子(カーヴァー、シェイクスピア)」の合わせ技ってこと。😛

 

そういうややこしい状況下にいる中で、その前の7月くらいまでに気づいた小説のアプローチ方法、

抽象化思考と、詩を描く際に発動させているアナロジー感覚を、さらに絡めてみよう、という、

より複雑なことを考えております。

 

結果が、どうなるか、上手くいかない可能性 高いけど、

今は11月中に作品を完成させて、応募することよりも、この複雑骨折的な合わせ技でチャレンジしてみることの方が大事だと思い始めています。
 
つまり、絶対的に応募はします。
たとえ不完全作品でも。
しかし、12/10ギリギリの消印有効でもいいか、と思い始めている訳です。
 
もう、後の1/10前後に〆切の、集英社ノベル大賞とか、創元社の創元SF短編賞とかも、どうかは考えない。
今,目の前の作品へ全力で取り組んでみます。
 

 

芭蕉像と開宿400年記念旗

 

老いた芭蕉翁が、客死を覚悟しつつ、周りの辞めましょの制止を振り切り、

白川の関は目指して旅立ったように。

 

僕も、文学の「そぞろ神」の誘いに従ってみます。

計算できないからこそ、「旅」ですから。

 

いや、そもそも、上記の、村上春樹、大江健三郎、多和田葉子との出会いは、

もう旅立っているってこと。

そんな気がします。