今まで、基本、実績のないことは言わない、大言壮語はしない生き方をしてきた。
でも今日、あえて、その生き方を裏切りたい。
大言壮語します!
分不相応な立場を目指し、その大目標を実現したい。
でないと、何も変えられないから。
人生の大目標:神戸から、兵庫県から、日本文学を変える人を育てること。
その手助けや、きっかけを作る活動をしたい。
つまり、創作講座や教室を持ちたいってこと。
(僕自身は非力でも、もしかして、中には大谷選手のように、世界へ羽ばたく人も門下から出るかもしれないから、ね)
僕の敬愛する詩人で、今、生きておられる方は、お二人。
荒川洋治先生と、お若いマーサ・ナカムラさん(先生)。
お二人の詩を読み、憧れ、その秘密を解析し、学んだことで、僕自身の詩が大きく変容し、プロ的なレベルに近づくことができた、と思う。
幸せなことに、どちらも教室へ参加できたし、言葉を交わせた。
また、それぞれ、片言でも、そのアドバイスは今でも、僕の中に箴言や天啓として鳴り響いております。
(さらに、マーサさんには、推しとしては恐ろしいことに、ご本人へ「マーサ詩作品の魅力レポート」をお渡しできた。
僕の学ビスト人生の中で、一生の誉れ、です。笑
それを、ちょうど以下のブログに書きました)
そのマーサさんが、よく雑誌『新潮』に、エッセイを載せておられます。
当然、僕は時々、買ったり、コピーしたりしています。
で、ここで一つ、また大言壮語の、具体的な目標を挙げます。
いつか、ではなく、来年度に『新潮』にエッセイ連載を、マーサさんのように載せたい。
それが、近近の目標だ。(おっと、法螺が大きく出ましたよ)
一番、手っ取り早いのは、新潮新人賞を獲ることが近道。
(マーサさんのように、中也賞と獲り、朔太郎賞を獲りのプロセスを経る方が、僕には難しいからね。笑
僕自身は、現状、小説よりも、詩の方が実力が上みたいなのに、皮肉な結果ですが。)
改めて思う。
新潮新人賞を獲ること、そのレベルまでいけば、結果的に、大目標の、多くの人に、人助けが十二分にできるようになるから。
是が非でも、欲しい。
自分の積み重ねた発見を、理論の正しさを証明しなければならない。
そう考えてゆくと、今、やっている文學界新人賞も、群像文学新人賞も、そして、次の太宰治賞も、3月に出す新潮新人賞の予行練習みたいになるものだな。
(まあ、この前三つも、正賞を獲れば、『新潮』にエッセイの一本ぐらいは載せてくれるのでしょうが。笑)
うん。
このぐらいの大法螺を吹かないと、作家になる前に、こちらの寿命が尽きそうですからね。
さて、肝心の、その第1弾、文學界新人賞の改稿ですが、前回報告からページ数はあまり進まないままの、
現在、プラス2枚の86枚ですが、
小説シーンを、ある意味、現代詩的な感性でどんどん「変容」させ、メタファー的な記述を付け加えたりしています。
すると、「書け書け式」でストーリーを書くのとは、どんどんと違ってくる。
その〈場〉を作り上げる感覚がメインになって、必要な表現を無意識域から取り出して(?)考えてくれる、詩の創作時と同じ感覚です。
その分、一晩寝た後や、運動後、ランニング中の方が、アイデアがうまく浮かびます。
無意識くんとの協議時間、待ち時間がアイデアを卸してくれるみたいですね。
だんだん、小説というより、長い長い散文詩を書いている感覚になっている気もします。笑
(原稿用紙150枚の散文詩?)
どうなるんでしょう。
自分でも終わりがよくわからなくなりました。





