ちょっぴり詩人モードに戻る | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

一昨日は、「蟹と水仙の文学コンクール」向けの詩を、新規で書いた。

選者が、憧れの詩人である荒川洋治先生だから、毎回、力を入れて書いているが、

今まで5回応募するも一度も入選せず、佳作にすらなれない。

高校の部では、詩の書き方を教えた高校生が何人も入賞しているのに、全然ダメだ。笑

今回がFINALとのことで、思いっきりヘンテコりんな、ラップ調のものを投函してしまう。

まあ、また落選だろうから、もうこれでいいよ。

 

昨日も、ふと思い出して、応募しかけて放置してあった詩、2篇のことを。

で、ユリイカの方は全面改稿、現代詩手帖は一部だけ改稿で仕上げる。

久しぶりに書く詩は、とても楽しい。

あまり、呻吟せずにポエジーのまま描くからだ。

 

そんな風に書いて応募して、落選したら、その後、日にちが空いて、数ヶ月後に時は結構、色々考えて呻吟する。

結果、その再生詩が入選する場合が多い。

つまり、きっと無駄な表現が多いのだろう。

でも、書いてすぐだと無駄がまったくわからない。

 

一度、数週間、放置してから、推敲して応募する癖をつけないといけないなあ。笑

 

ところで、

連日書いている、また小説創作の話題です。

取り組んでいる文學界新人賞の去年の落選作150枚を改作中ですが、今、4枚目です。

なんだか書き進めていると、主人公の名前だけ一緒で、全部、新作になりそうなんですが……。笑

 

とにかく、書き手ファーストでなく、読み手ファーストな〈どうなるどうなるエンジン〉を稼働させて、

読み手が(非エンタメ的なですが)楽しめることを、常に留意して書いています。

と同時に、自分が現代詩を書くときのような社会性・時代性を背景において書くように心がけています。

 

違う言い方をしたら、どこか象徴性の卵・表現を行間に置いていきつつ、書いているんですね。

結局、大江健三郎に感銘を受けたのは、その背景にある象徴性やメタファー的な表現だったのですが、

それらって、もともと僕の詩風が象徴詩で、「社会性・時代性を反映しているとかモチーフだね」と教室の好評やら、

コンクールの選評で言われるのと同質なものだったんです。

 

だから、もともと手元にあったものを使っている感覚があります。

 

この辺、大いに矛盾してます。

前は、書き手ファーストで、何かすごいこと書こう、書かなくっちゃと思いこんで、ひたすら悩んでいたくせに、

自分の持っている「現代詩カード」は未使用でした。

今は、読み手ファーストで、自分の書き手感覚よりも読み手を常に意識して描いているのに、

現代詩を書くときの自分の感覚カードをバリバリ使っています。

 

上手くいけば、これから7ヶ月で、5本、100枚以上の長編小説を書きます。

前記のように、詩が量産できるのと同じ原理なので、たぶん、同じような形で。

もちろん、どう書くかは日々苦しみますので、平常心ではなく、苦しさとの戦いが大部分なんですが。

 

それで、今年は無理でも、来年1年も同様に書ければ、かなり凄い結果を出せる予感がします。

なんせ、今までが全然、ダメダメだったですからね。

 

今年の最初三ヶ月と比べたら、天国にいるようなものなので、集中力を出さないといけません。

50枚までが、特に最初の20枚がしんどいですよね。