シンクロニシティは、いつも起きているのに、この世の人間はチューニングがあった時だけしかキャッチできない。
どこかの星占い書に、こんな趣旨のことがあった気がする。
石井ゆかりさんの本だっけ?
覚えていない。
今朝、起きて、たまたまNHK・BSの「街角ピアノ」って番組を見る。
相方が前夜、大谷選手の大リーグの野球放送を観ていたから、ほんと、たまたまなんだけど。
その普通の人がピアノを弾く人の姿にピンと来た。
ああ、これ、目立たないけど、シンクロニシティだな、と気づく。
今、書いているエンタメ小説(少しだけファンタジー)の、終わりというか、決定的なシーンと、その伏線の、この番組のピアノが大きなヒントになりました。
いや、もしかしたら、別の作品のヒントかもしれないから、自分の心の、いや魂の記憶にちゃんと収めました。
ほんと、こうして、アイデアが浮かぶこと自体がシンクロニシティだし、改めて、今のシンクロニシティはこの作品を書くために「ある」んだと思う。
これを書きために今まで生きてきたんだ、とさえ感じる。
もう理屈じゃありません。
いきなり、認識が降りてきた感覚、まさに、ラジオのチューニングが合って、ポンと「降りて」きた、と感じるんですね。
不思議だよね。
当初の、小説現代長編新人賞に出そうと思っていた7月は、このエンタメ作品は10月以降に書く予定の太宰治賞の、踏み台に過ぎなかった。
ただの練習のつもりだったはずなのに。
今は、太宰治賞の方が、余波だ、オマケだ、と感じます。
しかも、一応8/29〆切の「小説 野性時代新人賞」に出すつもりだけど、
その応募行為よりも、きちんとこの作品を完成させること、世に送り出してやることが大事だ、と強く「感じ」ています。
現在、91枚で、昨日よりプラス7枚。
まだ元原稿21枚あります。
このまま、元原稿を全部、消費・昇華できるかわかりません。
現状、「新規5枚:元1枚」ぐらいの融合比率になっています。
繋げるために、過去の伏線をいっぱい増やす必要が出てくるし、また、未来の結果もどんどん増えてしまうので、果たしてどうなるやら。
多分、使えるところを全部使うと、確実に、110枚を越えて、場合によれば、130枚くらいになりそうです。笑
当初は、全部使って接続できたら、90枚になるかな、だったのに。
構造的には、この接続の終わりまでが、事件の発生編で、それ以降が解決編になります。
どうなるかは、なんとなく伏線から想像できてはいるのですが、書いてみないと、いや、書き切ってみないとわかりません。
元原稿とは、主役の女の子と、副主人公の男の子の名前こそ同じだけど、
もとのリアリズム小説に対して、ややファンタジーになるので、全くの別物展開ですから。
基本はボーイズ・ミーツ・ガールズの恋愛要素もある、共通点もあるんですが。
また、これも当たり前なんでしょうが、
今まで僕が書いてきた経験値、こうすればいいのかという文章を書くスキル・小説の構造理解・読み手ファーストな執筆姿勢が、
作品を書きながら、全て出てきます。
18年間の物語創作の失敗体験が活かされて、25年間の大学通信やカルチャー講座の勉強・知見、いや、僕の今までの人生そのものがモチーフになって、書いています。
もう作品の当落そのものよリも、無事「完成」させることが目標になっています。
詩は、どんなに優れた作品でも、たくさんのテーマはぶち込めません。
ワン・テーマだし、ワン・イシューなんですね。
でも、小説は幾通りにもテーマを読めるものなんですよ。
特に、優れた小説は。
僕のこの小説が優れているかどうかは、わかりません、そうなるように努力するだけ。
それは応募すれば、結果、わかること。
結果がわからなければ、自分にとって、この小説が「優れた小説」に一歩でも近づけるように、ベストを尽くすことが大事なんだ、と感じます。
今回はいつに増して、そうなんだ、と感じました。
児童文学では、300-400枚はいくつか書いた経験があります。
大人向け純文学では、100枚以上はいくつかあるものの、去年の文學界新人賞が150枚が最高数でした。
でも、大人向けエンタメ系小説では、30枚までの短編はいくつも書き上げてきたんですが、200枚超は今回が初めてになりますね。
その意味でも、壁の一つを突破できるので、すごく意味があります。
(書きながら、あれはダメ、これはダメの、児童文学は自分に向いていない、とも感じました。)
家から一歩も出ませんが、この夏の最大の冒険は、この作品を書きあげること、になりましたね。