うーん、小説現代は、数行ずつ書き足しているだけで、ほとんど進んでいない微速前進、いや、匍匐前進か。
けれど、本田健『「未来を書く」ことで、どんどん夢は実現する』の本アシストもあり、自分の未来を考える行動を続けてみる。
この本の作中で本田さんの指摘する、通過点を、僕はもういくつも過ぎた気がする。
それこそ、今、目の前にある小説現代長編新人賞260枚を完成させることが、とりあえずの通過点か。
100点で通過しなくちゃ、と心のどこかで思ってしまう自分がいる。
間違いだ。
息を吸うように、タネの言葉が出てくる詩の場合は、そもそも100点なんて意識しない、いくらでも書き換えられるんだから。
変な話だ。
他の思い入れのないことなら、(怒られるけど、詩もそう)65点で満足して通過して、後で無理やり付け足して及第点の70点に四捨五入できるのに。
小説だと、なぜか、できない。
小説では、100点にこだわってしまう。
あの’07年の僕からすれば、今の僕は恐ろしく高い位置に、天に届かんばかりの高みにいるのに。
多分、実際に、小説空間の、各段落の現場では、何かしらまとめる実力はもう身についていると思う。
方向性や全体把握の経験値が不足しているだけなんだと、頭では思う。
純文学にもエンタメにも一度にできるようには、誰だって無理なんだよ。
その無理・無体なことをやろうとして、今、失敗しているような気がする。
失敗しないと、正しいドアは開けない。
同時に、複数のドアを開くのは無理なんだ。
まず開くべきドアを絞らないとね。