いつも、好き勝手なことを書いている、このブログ。
当たり前か。笑
ふと、文学創作活動以外の、自分の立ち位置を確認したくなる。
(文芸創作は、日々、夢中で作品を書くしかないですから。またどんどん目標も変わるので)
ちょうど、8月に登録する、放送大学の第2学期の履修科目について考えている時期でもあるので。
僕は、何度も書いているように、大昔、18歳で入学卒業した通学制の大学以外に、38歳の時に目覚めた大学通信教育の世界に、
足を踏み入れて以来、ずっと20年以上、何かしら「学び」続けてきて、京都芸術大学・洋画コースと文芸コース、慶應通信、放送大学大学院、
東洋大学通信と卒業・修了してきました。
今、放送大学の教養学部(人間と文化コース)も、全て受講し終わった第1学期の3科目が修得できれば、残り1単位でジャスト6年目卒業になります。
そのまま、’26年度も今度は(心理と教育コース)でそのまま継続入学するつもりです。
新規に、同コースで16単位習得すれば、同コースも卒業するみたいなので、在籍する6年間で取れそうなら16単位取って卒業するかもしれません。
今のところ、「1回卒業したら、もういいか」感が強いので、卒業する気になるかどうかは、不明です。
でも、全てライブWEB科目となっている、渋谷学習センターの開設科目を見ていると、心理と教育コース科目もあるので、
数を重ねていくと、卒業に合わせる可能性もありかな、と感じました。
キャリアコンサルティング資格など興味がある科目もあるので。
’23年に本格的に受講し始めた、放送大学の面接科目は、本当に面白くて、常勤の頃は仕事とかぶって、行けなかったのが、
今は自由に受講できるので、すごく嬉しいです。
ただ、非近畿圏の学習センターへは交通費・宿泊費を考えると、そう簡単には行くことはできません。
年間で考えると、非常勤勤めはすごく貧乏で、週5日、半日働いていても、閑散期があるので、トータルすると年収は生活保護レベルなんですね。涙
常勤職へ再就職・復帰できなくもないんですが、すごく非人間的な環境の激務で、かつ、やり甲斐搾取が酷すぎるので、
ストレスで「病む」状態スレスレになるでしょうから、やりません。
(その閑散期があるからこそ、長い小説への創作活動ができているのだと思います。
せっかく、ここまで小説スキルを上げたので、一度、もうプロデビューするしかないと思っています)
でも、非常勤でずっと働き続ける希望は持っております。
また、それでなら非近畿圏で開設される、文学系スクーリング科目との両立もできますしね。
年金をもらえる年齢になっても、今の政府のばら撒き利権政治の外国人優遇政策では、年金額はいずれ零近くになる覚悟はしています。
だから、出来ることは健康寿命で長生きして、両親が死んだ90歳近くでポックリ逝くことだ、と思って、食生活、健康と運動には気をつけています。
で、話を戻すと、
もう、放送大学での学び方も、基本、面接授業しか受講しないつもりです。
(登録時に、必要な放送授業科目を除いては)
現時点での、第2学期登録予定科目は、以下の通り。
第1希望が、
東京足立 第2土日(11/15•16)「多和田葉子の文学」。
第2希望が、
大阪 第2土日(’26年1/10•11)「「文楽」を鑑賞する」。
第3希望が、
徳島 第4土日(10/25•26)「英米文学を楽しむ」。
第4希望が、
渋谷ライブWEB(12月毎週金曜の午前)「ワーグナーの楽劇とドイツ近代2」。
前に、報告した時よりも、順序が入れ替わったことと、第4希望が新規になりました。
東京の「多和田葉子の世界」は是非とも行きたいんです。
でも、東京圏は人口が多いから、意外に埋まるんじゃないか、と恐れ、1位にしました。
次に行きたいのは、「英米文学を楽しむ」のレイモンド・カーヴァーなんですが、
徳島なら、希望者はそういないから、順位下でも当選するよね、と甘く見越して3位に位置付けます。
「文楽」は希望者が多いのか少ないのか、予測不可能で、2位です。
で、4位が、前は奈良の「御霊・鹿・水銀」だったのですが、オペラが今ひとつ分からないのが悔しいので、ダメもとで「ワーグナー」にしました。
これ、仕事とかぶって、一部、受講できないか、仕事の方を変更可能か、現時点では12月の予定が未確定なんですよ。
前に、面接授業を申し込んだら、半分、落選した時があって、今回、最低1単位は取って卒業しておかないと継続入学後に予定が混乱するので、
4つ申し込めば、2つは当選するでしょう、と考えました。
(北海道 「小川洋子の世界」は釧路の遠方で、泣く泣く断念済み)
ところで、放送授業は初期以外は、ほとんど聞かないでもテキストだけ勉強して、合格してしまう勉強方法になってます(こらこら!)。
テキストと同じことを聴いても、退屈なんですよね。
それに、放送授業のレポートも慶應通信のレベルからしたら、お遊びみたいなもので物足りない分量なんですよね。
4,000字以上書かせて貰わないと、勉強して調べた内容が反映できませんし、却ってストレスが溜まります。
正直、僕はたぶんパブリックな論文を書くレベルに到達していて、そのレベルで書かないと満足できないので、お遊びレポートはもう無理なんですよ。
それに比して、面接授業は100倍、面白いですから、まだまだ多くの知見を手に入れたいです。
あっ、レベルやプロの話で思い出しました。
話は急に大きく変わりますが、ときどき、訳のわからない自費出版系の詐欺メールが来るんですよ。
このブログ宛にも昨日、あって、しかも、そのお誘いのと全く同じ文例がネットでばら撒かれているようで、その中身の無さに呆れています。
詩集を作った際に、詩界ではちゃんと名の通った(自費)出版社の費用も知ってますし、また私家本を自分で編集もやって出版したので、その際の激安さ費用もわかっております。
ちゃんとした出版社系の文学賞でデビューする以外の、自費出版社系のお手盛り詐欺出版の何十万円は、残念ながら、無意味な自己満足ですよね。
はっきり言えば、詩の世界で最も権威のある思潮社から、ちゃんと本を出しても、自己満足系の「お客さん」出版はあるので、
中身のない、綺麗な表紙や装丁には何の価値もないのですよ。
それこそ、早稲田大学EXTの疋田雅昭(東京学芸大学・教授)の言を借りれば、「本」なんてインクと紙の構成物に価値や意味を付与するのは、読者があってのことなのですね。
これだけたくさんある、小説系文学賞のどこからもデビューできないのは、それだけの実力がないから、です。
出版やプロに繋がらない地方文学賞で入選・入賞することも並大抵なことではありませんからね。
これは、挑戦を諦めないための、自分への戒め、でもあります。
小説の構造を見極め、知見を極限にまで高めて、創作すること。
つまり、実力、を高めること。
事実はシンプルです。
実力が不足しているのなら、学べよ。
ない才能は、努力で埋めるしかない。
実力が高まらないのは、やり方が間違っているから、知見がないから、ですよ。
零から、小説を書けるようになった僕の答えです。
