また、忘れて、寝台急行のサンライズ出雲の予約に失敗したかも……。
いまいち、この予約日がよくわからない。
ひと月と一日前なのか、ひと月前なのか。
昨日、6/14土曜日の予約をするべきだときづいて、午後2時にネットでチャンレンジしたが、全部もう埋まっているのか、もうできない。
それとも、今日できるのだろうか?
なんか、よくわからない。
どのみち、午前は仕事だから、気づいても無理で、せいぜい12時にできるかどうか、だったんだけど。
さて、旧:三田文学新人賞100枚を書かないといけない。
でも、書き方というより、書くきっかけが掴めないんだな、自分は、と思う。
下手に、詩の場合の感覚、モヤモヤからスッと詩なら書けてしまう感覚があるから、それが来るのを同じように無意識に待ってるんだともう。
じっと長く、まるで雛鳥のように口を開けて、ポカンと待っちゃうみたいだ。
詩が全く書けなかった頃があっただけに、どうしても小説の時も連動してしまっているように思う。
贅沢すぎる悩みだ。
多分、自分の非力さをおいて、客観的に書くこと自体を考えると、慣れれば、小説を書くこともそんなに「凄いこと」じゃない。
大谷選手のWBCでのセリフのように、憧れが目を曇らせている、と思う。
小説を書くことに、ずっとずっと憧れていたから。
だから、つい傑作を、入賞作を書くことを求めてしまう。
傑作に近づくことは全く技術的な問題で、きっとそれは書かないと始まらない。
基本、スキルを高めてゆくしかない。
今、必要なのは、スキルを高めること。
高めるために、憧れが竦ませた足を、第一歩を進めることが必要だ。
違う言い方をしたら、完璧な文章を書こうと言う思いを捨てること。
村上春樹が『風の歌を聞け』での冒頭で書いたように。
でも、それがずごく難しい。
憧れているから。
無責任に大ボラ的なことを言えば、もう小説を書く文章力、発想力はあると思う。
完璧さを求めなければ。
まとめる力と見せ方がまだ不十分な気がする。
けど、それらは書くことでしかわからない。
車の運転と同じ経験値で導き出されるものだから。
以上を、自分の中の、自我から離れて全てを観察分析する抽象力がそう言っている気がする。