昨日の、朝から深夜まで、おそろしくタイトで忙しい1日を終えて、
半分、虚脱、半分、まったりと、そして、まだ興奮が冷めていない早朝です。
朝、新規の職場での挨拶回りや、検診、打ち合わせと準備で、午前中が終わり、
気晴らしに図書館へ寄り、カーヴァーや村上春樹、英米文学史の本を借りて、13時半に帰宅。
その後、15:30から早稲田大学のエクステンション講座をオンラインで1時間半、講義を受けて、それから早めの晩御飯。
夜、19:30から23時過ぎまで、小説教室のオンライン参加をする。
書いてても、思い出して、頭がクラクラする。
何よりも、第1回目だった、オンラインの、疋田雅昭(東京学芸大学・教授)の文学講座が衝撃でした。
今回は、初回で講義のあらましというか、紹介、前提条件の確認だった、はずなのですが、
いや、凄まじい!
今までの、20年以上の間、大学通信教育の講座を受けてきましたが、あの慶應通信の講座、三田や日吉での対面スクーリングを合わせても、
これほど濃密な講義は初めてでした。
だってね、疋田先生、文学理論ではなく、そもそも「理論」とは何かの定義から始めるんですから。
それを踏まえて、「文学」や「言語」の定義づけに至り、時々、ニュートンやアインシュタインの物理学の話も出て、理系・文系の違いやら、鴎外の明治期のエピソードが出没する始末。
いや、ここまで、洋の東西の地理的空間(というか、宇宙へ飛び出しました)と時間軸(平安時代から、明治期まで)を動き回るなんて、想定外でした。
いやあ、「実に面白い!」と福山くんの扮する天才・物理学者ガリレオに、僕も変身しちゃうじゃないですか!
この講義、久方ぶりに、「知の再構築」を味わいました。
慶應通信のスクーリング以来ですね。
ほんと、「生きてて、良かった」と思えたのは、久方ぶりです。
この本、チラ読みしかしてなかったんですが、講義を思い出しながら読むと、きっと、いい変身グッズになりそうです。笑
暇になったら、読み込もう。(いつのことやら)
で、その興奮を丸抱えのまま、某小説教室の、終わるまで終わらないロングラン・マラソンオンライン受講に入ったんです。
昨日は、自作の講評もあったので、22時就寝の僕も、なんとか眠らずに(おいおい)受講できました。
某先生から、文体を褒められたのが凄くうれしかった。
「文章が積み上げてある、丁寧に積み上げている。
進む感じがする、積み上げると普通は流れが重たくなるのに、綺麗に文章を運んでゆく引っ張る力がある。
ちょっと(主人公の)「僕」の感情が過剰かな、と思うが、まあ1人称で書いているので。
僕の気持ちだから、それもおかしくない」
まあ、もちろん、先生はお優しいので、おべんチャラが入っているのはわかった上でのことと思って、有頂天にはなれません。
でも、ダメな点はきっちりご指摘されるので、ちゃんと読める文章だったのでしょう。
それが凄く嬉しかった、です。
僕の場合、ちゃんと小説の文章になっているかが、第1段階で、次の、面白いかどうかが、第2段階。
この、第1段階を、たとえミステリのご専門とはいえ、審査員クラスの先生にチェックいただいて、クリアできるか否かが最難関でした。
先生から、文章・文体で及第点をもらえたのは、その前の4年前の時も含めて、初めてだった気がします。
大事なのは、個々の段落や文章表現はできて当たり前で、「小説空間での、言葉としての構築」ができているかどうか、ですよね。
これって、プロと素人では雲泥の差だし、さらに、ぺいぺいの初心者作家と審査員クラスとでは、また雲泥の差があると思っています。
特に、ミステリというジャンルは、(特に先生は本格ミステリですから)隙なく構築される小説だと持っています。
ちょっとした過不足や非自然さが小説空間を壊し、棄損しますからね。
また読み手を楽しませるスキルも、そこへ忍び込ませる必要性もあって、ほんと細心な配慮があるんだ、と先生のコメントから多く学んでいますから。
さて、疋田先生の講義は、今のシンクロニシティが用意している(ように思われる)、一連の【抽象度項目の把握思考】の流れ中にあるものだ、と薄々、感じています。
我流で体感。体得したものへ、学問的なバックボーンを与え、補強・発展させるだろうことは、今回の講義で120%見えてしまいました。
まるで、星占い通りに、’24年までの積み上げたものが爆発させるような進展がある’25年になりそうです。
じゃあ、もっと入賞できるのかな?
とりあえず、次回の教室分を、明日の午前までに、少しでも完成させないと。